
日々感じることや暮らしのこと、北欧・デンマークでの素材探しの旅やアーティストショップ巡り、さらにデザインのひらめきなど、カラコレスの舞台裏をご紹介します。
一旦ペースを落としてしまったことを
元のペースに戻すのってホント大変。
しかもそのときには前には無かった状況も加わっているから、
より複雑になって・・・。
そんなことをいくつか経験中。
5月に出かけたボストンへのアンティークフェアでは
たくさんのアーティストの方々とご一緒させていただいた。
主にはパッチワークキルトや手芸関係の方だったが
なかに異色のカップルがいらした。
50代のご夫婦でいらしていて
ご主人が皮工芸のアーティスト、
奥様はエレガントなマダムであったが
東京でのお店や広報関係を切り盛りされている感じだった。
昨日、その奥様から一冊の素敵な画集とお手紙が届き、
「多分、坂本さんが日本で一番早く(この本を)
手に入れる方になりそうです。こんなこともご縁ですね」とあった。
週末から島根県の美術館ではじまる企画展のために
作られた小さな画集だったが、
装丁も編集も作品を生かしていて思わず引き込まれてしまった。
帰国後私の本をお送りしたり
また今までの作品集を贈っていただいたりして続いてきたご縁。
「ラム皮は布のように柔らかくて加工しやすいので
ドライの素材にあわせてみても面白いかも・・・」
旅行中、こんな貴重なアドバイスも頂いた。
アーティストとして針の先のような集中力を発揮して
作品作りを続けられるご主人と
それをしっかりサポートする奥様。
素敵な世界を作られていました。
いつか是非本物の作品を見に訪れたいです。
自分の言葉で話すようにしている。
だから文章を書くときに、
なるべく引用はしないように気をつける。
引用すると「まとめたつもり」になるし、
「考えなくなる」し、責任をその言葉を言った人に
押し付ける事になるし・・・。
それより何より、
私などが浅い知識とちょこっとの知恵で
わかったつもりで引用するのは
恥ずかしい事この上ない。
人の言葉の引用って便利だけれど、
使い方を間違えると結構ぼろが出てしまう(笑)
オリジナリティって「安全である」っていう意味でも
重要なのよね。
先日のレッスンで生徒さんからお聞きしたお話。
お仕事で使っているサーバーがこわれて
伝票を出力できなくなったとか。
全部手書きの伝票に切り替えてしのいでいると言う。
「そんな昔の手書き用の伝票をよく残してありましたね。」と
お聞きすると、
「そう思うでしょ? あったの、それが。
なんと、メモ用紙として裏紙を使ってたのよ!」
すごい、そのメモ用紙、いきなり主役が裏から表へ
戻って戸惑っている事でしょうね♪
なぜかなつかしのゴム印セットも奇跡的に残っていて、
急場をしのぐ大活躍だそうです。
一日も早い復旧をお祈りします。
15年も続けてこれたのが不思議な気がする。
もちろんお客様やスタッフや、
ご指導頂いた皆様のおかげなのだが・・・。
細い糸でつむいで、あちらこちらのほころびを
つくろいながら来たような気がする。
なかなか丈夫な糸にならないの。
希望だけをノー天気に言うのは簡単なんだけど。
いかんいかん、昨日から湿気に負けてるわ。
アリナミンとQPコーワで迷ってアリナミンにする!
しかもこの時期、花が美しいときている・・・。
ちっちゃな子がだいすきな子にむかって
「○○ちゃんなんか、あっちいって!!」って言うのと同じ。
つよい否定はつよい肯定の裏返し。
何をつよく否定しているかで、
実は望んでいることがわかる、ってこれはわかりやすい。
思ったのは、
つよい肯定もつよい否定の裏返しじゃないかってこと。
ひょんなことから気づいてしまった。
「私は不自由でいたい」らしいということに。
ありえない・・・
「Be free Be happy Be yourself」とか言ってきたのに。
不自由でいるのは楽だからね。
「○○になりたい」なんて言っているうちは
「○○になるのがこわい」と言っているのと同じなんだ、きっと。
そんなことどうでも良くなって
自分では忘れちゃっているころに、望んでいる状況になるような気が・・・・
・・・それってうれしいのかな、悲しいのかな。
2番目の赤ちゃんを産んだばかりのスタッフが
「今度の子は夜泣きをしないから
朝まで眠れます♪」と言っていた。
よかった。
そういえばうちの子も二人とも当時はよく夜泣きをして
「朝までゆっくり寝られる日があれば
もう何もいらない」、なんて思ったっけ。
いつの間にかゆっくり眠れるのが
当たり前になって、
そんなことに感激することもなくなったけれど。
当たり前のことって直ぐ慣れちゃうのよね。
それに当たり前じゃなかったときの不便さや大変さを
思い出そうとしても思い出せない。
ごくたまにこのブログを更新するのを忘れそうになって
夜中に思い出して起きてくる。
つまりこの記事がそう。
初めてそろそろ680日くらい、
無遅刻無欠勤・・・
もうこれは和尚さんの朝の読経みたいなもので
(たとえがおかしすぎるかな?)
絶対にやらないといけない。
やってる意味なんか考えてる間もなく、
とにかく毎日やる。
なんでもこういう風に簡単にできるといいのにと思う。
「意味を考えない」とできるのに、
考えちゃうのよね・・・。
「やらないといけないから」って言うのが
一番説得力のある継続の秘訣なんだろうな。
いま、そういいながらも継続してない事
10個くらい思い出した・・・まずい、気づかなかった事にしよう。
もう寝る、おやすみなさ〜い♪
首から背中に突然、針で刺したような痛み
熱っ!!って感じ・・・・。
これって肩こりかなあ?
あまりなったことが無いから良くわからないが、
そうだったらしい。
(まだ実感できていない)
緑があふれる癒しの風景画像をウェブページ制作のために
探してもらっているが、
見つけてもらったどの画像も気持ちよさそうで、
自分自身がその絵の中に入ってしまいたくなる。
車で5分走れば本物の緑の中に行けるんですけどね・・・
行っちゃおうっかなあ・・・。
(それほど考える事か?)
フェルトでスカートを手縫いする長女。
ポスターを頼まれて試行錯誤する長女。
ダンスで使う小物が家に無くて、
あちらの友人、こちらの友人に尋ね回っている長女。
来週の文化祭に向けて準備も力が入ってくる。
高校の3年間は本当に短いな・・・、
親の私でもそう思うもの。
彼女のこの3年間の変化は
中学時代の比ではなかった。
あたりまえなんだろうけど。
そうして子どもの自立を感じ始めた頃、
遠くに住むいつも気丈な夫の母から
めずらしく気弱になった電話が来るようになる。
今が静かな移行期なんだ、きっと・・・。
OLさんは今も昔も「仕事に習い事に」忙しいのだ。
当時社内報に記事を書く順番が廻ってきて、
「細切れの時間の有効利用」のような事を書いたら、
某おじいさん専務に「興味深く読みました」と
電話を頂いてしまいあせった(汗)
それから結婚し子どもを産んでまた働いて・・・。
いつの間にか「時間管理」なんて言葉は頭の隅から
消えてしまった。
今、OL時代よりさらにさらに私の時間は細切れになって、
自分の持っている時間が自分で使えるときと
家族のものであるときといろいろ。
「どう」使うかより「何に」使うかの方が比重が高いとき、
管理したいという欲求はなくなってしまうのかな・・・。
久しぶりに「時間管理」という昔のテーマ?を
思い出したので。
ルービックキューブって(ちょっとまた古い話ですが)
見ていると人の成り立ちみたいに思えてくる。
6つの面は求められている社会的な顔。
家庭や仕事や地域や子どもに対してや所属している集団などなど・・・。
1つずつのパーツはその人そのもの。
個性とも言い換えられるのかも。
各面が完璧に色分けされてるのは「完成」とも「あがり」とも言える状態で
接するほうはわかりやすい。
けど、そんなことありえない、
パーツの混じり具合が毎日違うのが普通だから。
ちょっと前まで自分の持っている6面を、
きっちり色分けしようとしてたのかもなあ・・・なんて、
最近思うわけです。
「相手にとってのわかりやすい自分」にね。
「混在する」っていいなあと思う近頃は
だいぶそういったことに緩くなったというか・・・
楽になったわけです。
きっちり色分けしようとすると、
「〜するべき」になっちゃうのよね。
それに疲れて付き合いきれなくなってきたんだ、
よかった、よかった。
美術系の進学を希望している長女が
この春から塾の変わりに美大関係の予備校に通いだした。
高校の授業もあって、平日には予備校もあり、
部活と習い事が同じ書道でこちらも大事と先生に言われ
4月から急に慌しくなった(ようだ)。
そこへ土日の特別講座の案内が予備校から来て
「もうわけわかんない」と本人。
「ママ、どれを選べばいいの?」と聞くので
「受けたい予備校の授業のスケジュールを一旦全部書き出して、
高校のスケジュールと照らし合わせ、
バッティングしている割合を調べたら?」とアドバイス。
量的にあまりにも欠席になるなら特別講座はやめたほうがいいし、
かといってどうしても受けたい授業があって、
他を欠席してでもそれだけは、というなら受ける価値はあるし。
結局決まりなんて無いわけだから、
自分で優先順位を決めていくことしか出来ないでしょ、と。
そこまで言ったら納得したようで、
自分で何かいろいろ調べ始めた。
そうよね、答えなんかいらないんだ、きっと。
「優先順位をつけること」そのものが答えなのよね。
後はやればいいだけなんだから。
ゴールデンウィーク中に、
高校生の長女の携帯を「ガンガン学割」にするというので
いっしょにauショップに行く。
ほとんど夫と長女で担当者と話をしていて
私は契約者なのでいかないといけないらしく
わからないけど仕方なくついていった。
携帯もそうだけれど、固定電話も
良くわからなくて、営業の電話が来るたび
「すみません担当者が席はずしてますので」って・・・
担当者って私かもしれないんだけど。
先日の「○○ならこの人」のシリーズに
そうだ、「電話についてのご相談はこの人」って言うの加えておこう。
しかも特定の企業に属さないで、フェアな立場で。
考えるとこれって保険も含めた「ファイナンシャルプランナー」なんかとも同じ
複雑になりすぎたものを公平な立場から判断し、
あなたにぴったりのものを探し出すってことかな。
これがキーワードの1つなのでしょうね。
こんなことがあるのでしょうか???
東京でいろいろ用事を済ませてタクシーに乗り、
「最寄の駅へお願いします」と伝えた。
まだ若い運転手さんで心もとない感じ。
「私、場所が良くわからないんですよね、あんまり慣れてないし・・・」
お客さんに平気でこう言っちゃってる。
この段階で降りるべきだったと反省。
それでも車が動いているという事は
そうは言っても、という気分でお任せ。
ところがどこにも向かっていなかったのだ。
しばらく走って
「あの〜、もよりって駅どこにあるんでしょう?」
え〜〜〜、うそっ、ほんとに???
怒る元気もなく、地下鉄をみつけたので
「いいからここでおろして!!」と・・・。
最初から歩いちゃえば良かったとまたまた反省。
その運転手さん、走っている間も
「もう不景気で給料までカットですよ、
ボーナスどころか」って。
それでは社員教育する余裕も無いのでしょうが、
それにしても「最寄」を「もより駅」と間違えるなんて・・・。
自分にとってのリスク管理ってそんなおおごとを挿すんじゃなくて、
意外とこういう身近なことなんじゃないのかなあ、
なんて、予定外に一泊する事になった駅の近くのホテルで考えた。
翌日に仕事入れてなくてよかったぁ。
だいたい私はタクシーに乗って
「どの道を行きましょうか?」とたずねられるのも閉口する。
プロのあなたがそれを提案できなくてどうする?
と思ってしまうのは私だけ?
「お客様の身になって」を履き違えてるのでは?
・・・と、暇だったので色々考えました。
私はパッチワークはしないが
そういったクラフトの様子が見たくて
久保先生と「長野キルトウィーク2010」に出かけた。
久保先生は生地を集めるのが趣味で
・・・というと怒られる、ホントはクッションカバーとか
テーブルクロスになる予定だったらしいが
まだ生地のまま?という経過だそうです(^^;)
楽しそうにハギレやプリントのコットンとかえらんでいる。
思い切り「森ガール」の長女が知ったら
「ママだけずるい!!」といわれそうな
素敵なレースや生地や小物のお店がそろっている。
パッチワークキルトの作品もたくさん展示されていて
美しい超大作に思わずため息。
それにしても驚いたのが人の多さ。
平日のしかもこの雨で寒いお天気に・・・。
手仕事は女性の永遠のいやし?
わかるような気がするけど。
一方相変わらず私が買ったのは非実用的なものばかりで
そういった購買傾向からも
また自分のことがわかっちゃったりしていやなのよね。
楽しい一日でした。
出会いの無かったものや、
すれ違ったものには、
縁がなかったと思ってあきらめられるようになった。
以前は体系立てて端から全部・・・と思っていたので、
1のつぎに3がきてしまうと、
2を抜かした後悔で前に進めなかったりした。
そんなわけがあるはずも無く、
そもそも体系自体が何かのよりどころをもとに
ピックアップして並べ替えたものだという事に気づいてからは
あっさり「縁が無かった」で片付けたれるようになった。
ここ一番の「執着」以外は、だいぶあっさりしてきたわけです。
年のせいか・・・。
使っている眼鏡が合わなくなってきました。
もちろん老眼です。
最初にかけたのは20代、
鏡に映った顔に目が4つあってびっくりし、
どこにアイシャドーを塗ってよいのかわからなくなって、
眼鏡をつくりました。
そのときめがね屋さんに言われたのが
予想もしなかった「老眼です」。
子どもの頃から視力検査では2.0まで見えていたので
てっきりただの遠視だと思っていました。
サバンナでシマウマを追うにはよい目です。
さて、その時見えた4つの目、全部私のです。
左右の目がそれぞれ別々に鏡を見ているわけですから、
4つ見えて正解。
それを脳が「あるべき2つの目」という画像に作り変えているのだとか。
「本当はどうなのか」と「どう見えるか」と「どう思うか」では、
ずいぶんずれがあるのですよね。
これ、自覚できたらいいのにと思うのです。
今の視点がわかれば、
時にはちがう角度から物事を捉えることができますものね。
ですが、なかなかそれがむずかしい。
「目は2つあるはず」という先入観がじゃまをするから。
眼鏡を取り外しするように、
この思い込みもはずせたらいいのにと、
新しいレンズを選びながら思うのでした。
カラコレス・プリザーブド&ドライアートスクール代表 坂本裕美
生徒さんに「何か他にお稽古していますか?」と
お聞きしたら「中国茶を」と・・・・。
なんだかレッスンが楽しそうで
「良かったら体験に来ませんか」とおさそいいただいたので
喜んでその方にご一緒していただきおじゃましてきました!
チャイナドレスのチャーミングな先生のご指導の元、
昨日は「黒茶」のお稽古。
緑茶と紅茶意外にそんなにたくさん色の付いたお茶が
あることも知りました。
とにかく初めてのことばかり。
茶器も可愛くて、いちいち感激です。
レッスンの様子は次回5/1発行のメールマガジンで
お伝えしますね。
カラコレスの生徒さんの中でご希望がたくさんありましたら
是非先生をお呼びしてお教室でレッスンしてくださるように
お願いしてきました♪
身体に優しい中国茶でリフレッシュしたひと時でした。
捨てたい病、いきなり勃発。
周期的に来るリセットの嵐・・・。
たいへんだぁ、
しばらく何も出来ないわね、
これが来たらあきらめて
波が収まるのを待つしかないの。
介護の仕事も長いことしていて、うちのアシスタントに
たまにはいってくれる先生が介護福祉士の試験に合格した。
おめでとう!
「勉強した?」
「したした、めっちゃくちゃした!!」
いいなあ、彼女は55才、
「そろそろ人生の仕上げ時だからね」って・・・。
むかしバスガイドの彼女は
やっぱり分厚いガイドブックを一晩で丸暗記したのですって。
その集中力、全然衰えてないわね。
それにしても、私の仕上げ時っていつかなあ、
まだ当分仕上がらない事は確かね。
本当に春なのでしょうか?
今日の横殴りの雪・・・。
さて、いきなりですが
お仏壇の効用ってセラピーでもあるんじゃないかなって
最近思います。
向き合うというのが大事なのよね。
何処に向かって立っているかわからないときに
何かひとつ、向き合うものがあると
指針になるし心の平安が保たれる。
その1つにお仏壇があるなあって・・・。
いえ、我が家には無くて、私と夫の実家に
行ったときだけですが、向き合うのは。
同じ意味で私にとって重要なのは
「鏡」と「ゴミ箱」と「サンドバッグ」・・・
こんなものでしょうか・・。
しかしこれだけ用意されていても、
心の平安が保たれないときがある。
今日がそんな日。
あ〜あと足りない家具はなんだ?
「はしご」と「懐中電灯」でも用意してみようかな。
きっかけはベビースイミングのプールの中で
話しかけられたこと。
長身できれいなママから、
「おうちに遊びに行ってもいい?」と。
長女より少し小さい男の子を連れて我が家にやってきて
たくさんお話した。
フラメンコを習っている事もそこで知った。
私もまだまだ子育て一年生で1歳になるかならぬかの
長女の世話でおろおろしていた頃。
そうだ子育ての友人だったのだ、17年前は。
お互いにこの先にやりたい事があふれていた。
フラメンコの発表会に誘われて見に行き
一度に魅了されてしまった。彼女の踊りに。
はじめてからそれほど日も経ってないはずなのに
彼女の周りにはしっかり世界が出来ていた。
ここでずっと見ていたい、と思わせる迫力。
それが高じて彼女を説得し、
今のレッスン室に床を張りにわかタブラオをつくり
10人ほどのお客様を呼んで踊ってもらった。
至福のとき。
その後彼女の家族はシンガポールへ転勤。
私も仕事が忙しく、お互いに
ゆっくり会うこともなくなっていつの間にか10年。
10年ぶりの再会だったんだ、今日。
私の仕事があって2時間しかあえなかったけれど
でも充分。
お互いの10年分は向き合っているだけで伝わってきた。
友達って会っている時間や距離の近さには関係ないなあ・・・
なんて子供が思うようなこと、純粋に思った。
どこかでがんばっているとわかっているだけでいい、みたいな。
レッスン室にはまだあのときの床を張ったままなの。
大統領夫人を魅了した踊り、ここでもう一度見せて!
中国茶 きちんと入れると味が違うのだそう。
今日のレッスンにいらしたお客様から教えていただいた。
最近はまっているのだそう。
私も以前友人が中国茶の茶器を販売していて
いくつか買ったことがある。
小さくてかわいいの。
そうしたら今度お稽古にいっているところを
見せてくださるという。
すっかりその気になりおじゃまする事に。
美的なものにアンテナの高い生徒さんがはまっているものには
きっと何か共通するものがあるのでしょうね。
私はおでこの真上につむじがもうひとつあるので
前髪が跳ね上がってしまって大変なのだ。
これは長男にも遺伝して
朝起きると彼の前髪もビヨヨヨ〜ンと飛び跳ねている。
くしを片手に四苦八苦して
挙句にあきらめて上から帽子をしっかりかぶって
登校時間を整髪に当てている。
多分父もそうだったのではないか・・・
推測なのは、今父に前髪が存在しないのでわからないから。
ほんと、変なとこ似てイヤよね・・・。
長崎への修学旅行から帰ってきた長女が
写真をプリントアウトしている。
一足早いさくらの写真。
モノクロに加工して小さなコメントをつけて
表紙にしていた。
長野のさくらも直ぐにでも咲きそうな暖かい一日だったのに、
明日からまた寒くなるって・・・
春は遠いな・・・。
つかんだ答えが正解じゃなくてもいいと思えるなんて、
大人になる醍醐味ではないかな?
選択肢は色々あるけれど、
どれを選んでもいずれ縁があれば行くところに行き、
出会う人に出会う。
その確信を得た事が
正解を見つけるよりずっと大事。
無駄になることは何もないのよね、
平等だなあって思う。
「ママずっと寝てたじゃない!」
いやいや寝てたのは移動中と大学の説明会の最中。
要するにつまらなかった部分。
オープンキャンパスに長女と参加。
卒業制作の発表も兼ねていて面白かった。
プレゼンテーションは作品に加えて映像も音楽も
当然のように用意されていて
荒削りながらも光っている。
対照的だったのは大学側の説明。
先の学生にプレゼンを教えた側のはずなのに
昔ながらの通り一遍ののやり方で残念だった。
それにしても、少し前までは
プロ中のプロ達が集まって作ってきた空間を、
「消費者として体感」してきた若い人たちが、
今度はそのまま表現する側にまわれてしまうのはすごい時代。
娘の進路はおいておいても、
私が見ていて楽しかった。
介護の仕事も兼務しているスタッフから聞いたお話し。
介護施設にいて言葉が話せなくなった人同士でも
お互いの感情だけは理解できるのだそう。
「あの人は私に対して好感を持っている」とかその逆とか。
これは結構驚きでした。
本来そうだと聞いていて、
でも日ごろ言葉で伝える事に四苦八苦している身には、
やっぱりそうなのかと。
本当は瞬時にわかるはずなのよね。
お互いの考えている事。
これもミラーニューロン?
電車にて一面の雪景色の世界に行く。
ところ変われば景色も変わる・・・
こんな当たり前のことも
ずっと同じ場所にいては気が付かないのよね。
かと思えば、
遠くばかり見えて足元が見えないときと
足元ばかりが見えて遠くが見えないときが交互にくる。
両方見えれば賢いのでしょうけど・・・
ハリネズミの針は背中だけに生えている。
おなかはピンク色で白い産毛が
ほわほわしているの。
今日、友人が小学生の息子に見せたいから
写真撮らせてというので、
寝起きのモリーを抱っこして見せた。
ピンク色の小さな前足でしがみついてる姿は
頼りなくて情けなくてなんとも愛らしい。
素手で抱いたら驚かれたが
これは私の過剰なコミュニケーションの賜物よ。
ホホホ「プラスの無条件ストローク」満載なのだ!
何でも練習すれば上手になる。
ただし、そこが問題。
それ、上手になっている場合なのかという・・・
それが問題。
同じところで練習を積み重ねて、
あるとき急に場所が変わるようなことが起きると
練習の成果にも変化がおきるのかも?
しかもそれは立ち位置の変化であって、
自分では起こしにくく外から強制的にやってくるみたいな。
抽象的。
立て続けに山ほどの刺激を頭に入れることになる。
難しいことから、忍耐力の要ることから、
楽しい事、考えさせられる事、残像の残るものまで
種類の違うものをほんとうに色々・・・。
脳が処理できると信じて。
いまさら言うまでもないけれど・・・たとえば、
祖父母の時代から比べればとてつもなく便利になってる。
(って書くのも当たり前で何か変?)
あれも出来てこれも出来て、
情報は玉石混合でも山ほど入ってくるし、
環境のせいで出来ない事はほとんどない。
だからといってこれから先のことはわからないし
今の自分に出来ない事はやっぱり出来ない。
この先も出来る事しか出来なくて・・・何いってるかわからない。
つまり、出来ない事は次の世代に託す諦めが大事かなって思った。
今できていることは祖父母の時代には
やりたくても出来なかった事で、
それは託されている部分があるんじゃないかなあなんて感じたものですから。
大それた事じゃなく、
祖父母と子供達の顔がそれぞれ浮かんだので。
育てるって、いずれあきらめるというか託すというか
そんな方向に行くのかなあって。
「こぼさないで食べてね」なんていう必要もはるか昔になくなったわけで、
次は・・・う〜ん、言葉にするの難しいけど。
知らないで閉ざされた中で来てしまったために
間に合わせるのが大変。
これは交わりを持たなかったとかの意味ではなく、
今までは理解できなかったという事。
もちろんお花の世界の事ではなく。
50年近く生きているのだから
今までも何度も交差点はあったはずだけれど
私のほうに「知る準備」が出来ていなかった。
準備が少しずつ整ったかもしれなくて
でもだからといって直ぐに使えるものでもなく。
10代後半から20代はじめに受けた刺激が
その後30年もたって生きてくるように、
今回ももしかしたら30年後・・・80才だ!
(ちょっと遅すぎるかなあ)
カルチャーの作品展で一日体験レッスンコーナーを担当。
その隙間を縫って、太極拳の舞台発表をチラッとのぞく。
美しい・・・。
目に見えない糸で頭と腕と足が天井からつるされているみたい。
余計な力が入っていなくて、柔らかくゆっくりで、それでいて俊敏。
体の動きの美しさって
どんな衣装にも勝るのよね・・・。
そういえば中学の同級生が太極拳の全国大会に出場するって言ってた。
どうしたかな?
先日のCUBIC 個人特性診断の結果が出た。
「わ〜協調性ひくい! 7しかない・・・」というと、
横にいた安部先生が
「7ですか、意外とありますね」と冷静な分析。
「100分の7だよ」
「え〜っ! 分母100ですか? 低すぎ!
てっきり10分の7だと思った・・・」
「普通そう思うよねー」と
なけなしの7で協調する私・・・
CUBICという性格診断のようなものを
何年に一回かやっていて、
久しぶりに今の自分と向き合ってみた。
結果は後日送られてくるのでまだわからないが、
結果を見なくてもわかった。
変わってない・・・。
しかも、変えたくて色々知識をつけて
修正に励んだ部分ほど変わっていないことを痛感。
結果としてある結論にたどり着く。
・ 自分のでこぼこ加減を直視すること
・ でこぼこがあることを自覚して人に接する事
あ〜ぁ たいらになりたかったのにぃ・・・
おとといは電車で右往左往の一日。
予定の近くに滞在先を予約したのに
その後のスケジュールを組み損なってその滞在先が遠くなった。
近くのホテルに変更しようと思ったけれど
いっぱいで予約がとれず、これも何かの縁かとそのままにしておいた。
結果、何の縁でもなく、
目的地には遠く、時間ばかりかかり・・・。
こういう日もあるわよね〜。
すべてに意味があるなんて大嘘と実感。
あっ意味といえばたくさん歩いたので体力が付いた!
義母がお寺さんのお札を送ってきてくれた。
毎年家族全員の分を
おまいりしてもらって送ってくれる。
そこには大きく数え年の年齢が書いてある。
「わ〜50才って書いてあるよ、どうするんだぁ!」
往生際の悪い(笑)夫が、今年のお札を見てあたふたしている。
同い年の私ももちろんそう書いてある。
50才ねえ・・・やっと来たかって感じだけどなあ。
30才代でこの仕事を始めて「早く40才にならないかなあ」と思っていたし、
40代になったらなったで、あまりの中身の無さに「50代になればなんとか」って。
年齢だけ重ねていっても中身は充実しない?
でも毎日が「時間」っていう点の連続だとすると、
やっぱり50年には50年分の点が詰まってるわ!
(だったら30年でも、40年でも一緒じゃないっていうお言葉は無視♪)
さて、これで安心できるかって言ったら、いや全然・・・なんですけどね。
善光寺の灯明祭りに家族で出かける。
最終日、滑り込みセーフ。
きびしい夜の寒さの中、
参道いっぱいに並べられた切り絵の灯明を楽しみながら、
本堂の幻想的なライトアップを楽しみながら、
久しぶりに表参道を上がっていった。
本堂でお参りして家族でおみくじを引くと、
私だけ「大吉」。
そういえば、お参りのときに
「○○が良くなりますように」ってお祈りしなくなったなあ・・・。
良いも悪いも一概には判断できないと気づいてからは、
無理やり良い事を願って何かを好転させたいというエネルギーが
沸かなくなったんだった。
だったら何てお参りするかといえば、
「なるようになりますように・・・」。
何ともいい加減なお祈り?
「なるようになった暁には、それに対処します」という意味。
本人はいたってまじめなんだけど。
昨年から意識的に自分の枠が広がるような場面に
行くようにしてきた。
けれど、やっている日々の作業に変わりなく・・・。
変わりは無いのだけれど、
分母が大きくなった中での日々の作業は、
それなりに意味を持ったり、
はっきり「ここにいる」という位置の確認につながるようになった。
少し離れた場所から自分のことを見られるようになったのかな。
「のりしろ」が出来たなあと感じる。
これと同じ時期がむか〜しあった。
大学に通っていた4年間・・・。
もちろん勉強していたわけではありません(笑)。
新しい世界で、いろいろな事を試してみて
ちょこっとは勉強して、あとは遊んだり遊んだり遊んだり・・・?
この「遊んだり遊んだり遊んだり・・・」が、
その後の自分にとって何十年もキープできる「のりしろ」だったとは。
しかもそれがわかるのが30年もたってから、というのが怖いなあ。
「のりしろ」を作っている時期に共通するキーワードは
「遠回り」と「一見むだ」。
積極的に「のりしろ作りたい」というような直接的な動きでは、
「遠回り」できないという、
なんとも切ない矛盾に気が付いたりして。
あとになってわかるのよね、あれもこれも。
立春より少し前に、
二日続けて同じ内容の不思議な夢を見る。
こういうのって後から思うと予知夢のようなことだけれど、
現在進行形の今はまだ何の示唆かわからない。
夢の内容はこう。
ひとりの知性の塊のような男性を我が家へ招待した。
ところが家についてみると10人もの女友達のグループが
同じ日、同じ時間に私に招待されて家に来ていて
鉢合わせになっているというシーン。
しかも料理がそれほど得意と思えない私が
それぞれを手料理でもてなす事になっていて
「どうしよう、何を作ったらいいの」とあせっている。
この2つのシーンだけ。
ただし感情的にはもう少し細かい描写までおぼえている。
自分で招いておきながら知性の象徴としての男性に対して、
胡散臭いものとして疑いを抱いているみたいなのだ。
その知性が「体系化されたうそ」じゃないかと思っているらしい。
一方女性たちの集まりは騒々しくて秩序が無くて
生命力の塊のような存在。
私はそれに対してかなり肯定的な感情をもっている。
イヤじゃないって事。
これって何ナノかな・・・。
メモ代わりにここに書いたのは、
いつか明確にわかるときが来るだろうと思うから。
しかも忘れた頃にね。
昨日に引き続き健康診断情報。
無事終わる。
それにしても、胃の検診ってあんなにハードでしたっけ?
命綱無しで、両手でつかんだバーだけが頼りなのに
ほとんど逆さづりに近い状態・・・
久しぶりに運動不足を解消しました!
明日は健康診断。
何が怖いって、採血中に必ず貧血起こして
別室に運び込まれるのが恥ずかしい・・・。
ここのところ毎回きまってそう。
朝ごはん食べてないので空腹の上に、
「わ〜私の貴重な血が抜かれる〜!」と思いながら
腕に挿された注射針を凝視していると、
目の前が白くなってホントに星がちかちか見える。
「今度は横になって寝ながら採血してくださいねっ!!」と
言われるが、毎回病院も違うし言い出せない。
明日も初めての場所で、
やっぱり子供みたいで、きっと言い出せないだろうから、
私の小さな挑戦はつづく。
何って? 起きたまま採血する!
昨日は立春で旧暦の元旦。
一年の初めの気分は、通常の西暦の元旦よりよほど
こちらの方が強くて、
体が軽く、インスピレーションに富む一日でした。
私は原始人なんでしょうか・・・。
体系的に整理されているものや
親切に説明してくれるものをもう信じない・・・とは
思うのだけれど。
表に出ていない「行間」を読むには
それなりの修行と力が必要のよう。
行間を自力で読めるようにならない限り
「木を見て森を見ず」の状態は続くのよね。
あ〜頭いたい・・・。
子供の頃、
仲間の中に、年の割りに「大人びた言い回しをする子」がいると
借りてきた表現みたいに違和感を感じた。
親になり、
自分の子供が年の割りに「大人びた言い回しをする」のを聞いて、
成長したなあ・・・などと一瞬思ったのだが(笑える)、
その大人びた言い回しは本人のもの?
それとも借りてきたもの?
彼(小5の長男)の周りには、
マンガやゲームや本やテレビ、インターネット・・・
日々沢山の情報が押し寄せていて、
そんなごちゃごちゃな中で彼は作られてく。
当然オリジナルの表現も多彩になっていくはず。
こういう世代が世に出てくると面白いなあと思うと同時に
感じた事を自分の言葉で表現するのは逆に難しくなっていくのかも・・・。
誰もが聞き飽きた「言葉」が増えてきて。
斉藤美菜子の『文章読本さん江』で
明治の綴り方教育の形式主義を指摘しているのに、
まだ小さな子供達が遠足の作文で
「腰に水筒携えて」のような表現を入れるのが形式的に
ポピュラーだったという笑える話を読んだ。
(読み終わった本は処分しているので正確には確認できないけど)
選択肢が無くて、皆同じ表現をするから笑えたわけで、
私が子供のとき「大人びた言い回しをする子」たちもこんな感じ。
真似をする選択肢が無ければないで、
あればあったで、
どちらにしてもその中から「自分だけのもの」を探して
右往左往する事になるのね、きっと・・・。
その「右往左往かげん」が「自分だけの表現」ってことになるのかな?
「迷ってる自分」が独自と・・・。
全くの独自性なんてありえないものね。
素敵な感性をもった人の文章を読み始めると
最後まで読まないうちに、
自分の中で触発が起こってしまって困る。
ほんの数行を最後まで読まないうちに
私の中で何かが動き出してしまって、
それはもう「形」を作り出したくなってしまう。
で、一旦思ったことを書き留めたり、反芻したりして
もう一度その人の書いた続きの文章を読むと、
先ほどの感覚に戻れないときが多い。
まったくその瞬間にしかできないことって
あると思う。
スタッフからのメールに、
「了解」とだけ書いて返したところを長女が見ていて、
「ママ何っ! そのそっけなさ、信じられない!!」と叱責される。
「べつにいいじゃない、事務連絡だもん」と私。
「メール貰えるだけでもありがたく思わなきゃ。
それでなくてもママは友達少ないんだから!」と応酬される。
なるほど、彼女は「花の女子高生」ですからね・・・。
しかしこちらは仕事ですからね、
お友達のコミュニケーションとは違うのだ〜!
「何処へもいけるし何でも出来る」って
幻想じゃないかと思うことがある。
車で道を運転していて
ごく走りなれた生活道路が
アスファルトの隙間から草が生えていて、
倒れた電柱や石の塊でふさがれている・・・なんて情景に
ふと画面展開するから。
「ここも少し前まで通れたのにねえ」なんて言ってる。
別にそんな映画観たわけではなくて、
人口減ってきたなあ、とか
税金でこんな田舎の隅っこの道まで直せるかなあ・・・なんて
思っているからか。
閉鎖したガソリンスタンドで一ヶ月もしないうちに
アスファルトを突き破り雑草が頭を出してきたのを
見たからかもしれない・・・。
「今できることをしっかりやっておこう」と
私の中で妙なところにつながってしまった。
「弦楽器をはじくのと弓で弾くのとどちらが好き?」
以前お筝の先生がそんなことをおっしゃっていた。
「私ははじく音が好き」と。私もそう。
もちろんお筝は爪ではじく撥弦楽器のほう。
三弦は撥ではじくまさしく撥弦楽器。
私は生田流だったから爪が四角で、
その角を使って、13本の弦を弾く。
准師範を取っていよいよ次はお三弦のお稽古・・・というころ
仕事が忙しくなって続けていられなくなった。
私が通っていた社中は週一の個人レッスンと
週にもう一日頻繁にある演奏会に向けての合奏練習という、
かなりハードなお教室だったのだ。
そこで10年近く修行(?)した。
今床の間にはソプラノ箏を入れて4面のお箏と
お三弦のケースが立てたまま。
きっと三弦は皮が破れているに違いないので、
恐ろしくてケースを開けられない。
けれど、私の夢は路地裏からもれ聞こえるお三弦と地歌・・・
なので、ある程度の年齢になったら
自分のペースでお稽古を続けなきゃ・・・。
でも今はとても無理。
そんなこと思っていたら、今日不思議な弦楽器の音を聞いた。
どこかの国の伝統音楽で(いい加減だ)、弦楽器なのだ。
しかもはじくほうの音・・・私、この音色好き〜
音楽に関して全くの無知で、使われてる楽器さえもわからない。
悲しい。
弦を緩く張ってるのかな?
余韻がすごくきれいな音だった。
自分のその反応で、
人の嗜好ってそうそう変わるものではないのねって思いました。
実家の母から電話
「NHKで『とめはね』の再放送してるから見るように」
子供達が小さい頃からずっとお習字をしていて
長女は高校での部活もまさに「書道部」なのだ。
彼女のノートは芸術的に美しい。
一朝一夕にできないことで身につけたことって
意外と大きな参入障壁よねって思う。
(この場合は何の参入???)
イヤだったけど無理やり習わされていた事や、
大好きで小さなときから続けてきた事・・・
こういった雑多な経験が大事なときが来るのね。
私の場合は「幕の内弁当」的とりとめのない興味の詰め合わせだったが、
それぞれ夢中になった時期がある。
「表現する」のが仕事になった今、
その中の何一つ無駄にはなっていないと感じるもの。
あ〜経験が大事! 寿命が足りないわっ!!
旧暦では立春が一年の始まりなのよね、
それより前の太古の暦では1月15日が「小正月」だし・・・。
だからグレゴリオ暦でしたっけ?太陽暦?西暦?新暦?・・・
とにかくそれらの新年を迎えたからって、
急に気分一新って感じにならないのは無理ないかも。
なんて反抗的。
まだ松の内なのに・・・。
もう新年のご挨拶もしちゃったのに。
(それはそれです、もちろん)
どちらかというと、今の私は整理したい気分。
つまり、まだ年末・・・。
それもこれもこれから来る新年めがけて動いていると考えれば、納得!
私は原始的な人間なので(友人にそう言われる)、
きっと身体がそう感じるのだわ!
勝手な解釈をつけて、
新年早々の緊張感の無さをいいわけするんだ〜。
昨年の秋ごろから周りの時間の流れがとても速くなったみたい。
さすがの鈍感な私でも感じるくらいに・・・。
こんなこと、今まであった?
・・・無かった気がする。
私たちが扱っている作品たちは「時間に流されない」独自の存在だけれども、
実務に限ってはそうも言っていられないのが悲しいところ。
これからもずっとそのギャップを埋めていくことになると思う。
子供達が小さい頃いっしょに観た、
ミヒャエル・エンデの「モモ」の『時間』。
子育てに追われる中で感じた「そうよね、時間って・・・」と
改めて感慨にふけっていたのとも違う。
今になれば自分の持ち物だと断言できるのは「この先の時間」だけで、
それだって絶対ではないのでわからないのだ。
そう思うようになったからなおさら、
周りの時間の流れが気になるのかも・・・。
長男が7日から始まる小学校の持ち物の用意をしていて、
学習の評価(だいぶ古い言い方で言ったら通知表)に
「コメントを書いて」と持ってきた。
そう言えば「つうちひょう」って、
何だか特別な響きだったな〜。
学期末の最後のHRの時間に
先生からひとり一人重々しく手渡されるんだったっけ・・・。
いつも成績の芳しくない私などは、
たいした期待も無かったので気が楽でしたけど(なぜ楽!?)
悲喜こもごもの思い出があるのでしょうね、皆さん。
それにしても「通知表」って、
今思えばただの「通知する表」だったのね。
音読みになったとたん特別な響きをもって情景も浮かぶって、
何だかすごいなと思って・・・。
お正月といってももうあさってからはお仕事です。
日程的にはかなり短くてハードなお休みだけれど、
気持ちの切り替えには充分。
今年一年を思い描いた計画をたて、
家族で初詣に行き、無事を祈り・・・。
毎年やっている事で、何の変化も無いけれど、
何の変化も無いところに感謝できるようになったのは
年齢のせい?
「無事」っていい言葉よね・・・
新年明けましておめでとうございます
本年もより一層のご愛顧を
何卒よろしくお願い申し上げます
平成22年 元旦
セカンドライフというバーチャル空間での
講演会に参加しました。
セカンドライフ、昨年末から今まで一回もやってなくて
アバターのお洋服も昨年の赤ずきんちゃんのまま。
あわててお買い物に行って
新撰組のお侍さんの、しかもとってもコンパクトなのを
選んで購入、着替えました。
最初水色を買ったのだけれどちょっと地味かしら・・・。
で、色ちがいで赤のお侍さんに変身。
もっている衣装はたったの4着、
白くまと赤頭巾とお侍の水色と赤・・・
このまま赤いお侍さんのまま来年の年末まで過ごしそうね、きっと。
周りの皆さんの衣装を見るのも楽しかったです。
バーチャル空間の講演会って
内容が体系付けられてなくても全然OKっていう気がしました。
「私は○○です」の○○の部分が、
今まで思っていたことと正反対だった・・・
最近こんな事が起こって混乱している。
結局どれもこれも思い込みではなかったのか。
だから正反対という、新たな○○も怪しいのだ。
○○の根拠を点や線に拠るからこんな心もとない事になるのかしら?
もっと広い視野で、そうそう「面で見る」ようなこと
出来ないのでしょうか?
仕事でお世話になっている行政書士さんが
実はとてもとても近いご縁の方だとわかる。
税理士さんからの紹介の紹介の
そのまた紹介でお世話になった方であるのだが、
今日打ち合わせをしていてご縁があることがわかり
びっくり!
大体このようになっている。
会うべき方には会うようになっている。
今までを振り返っても
どうしてあの時あの人に会えたのか・・・
全てのタイミングは私以外の誰かがどこかで
決めているみたい。
4日ほど仕事で長野を離れていた。
戻ってびっくり・・・風景が変わってる!
一面の雪景色。
ある日を境にすっかり変わるってこういうことね・・・。
いえいえ独り言です。
たまたまお休みだった夫と小学生の長男が
家の周りと駐車場を雪かきしてくれたみたい。
本部の通常のレッスンは今日でおしまい。
あとは出先を残すのみです。
秒読みね!
レッスン室のお掃除、第二弾・・・。
阿部先生が椅子に登って天井近くの棚を整理。
樋口先生はなにやら階段を上ったり降りたり。
今日は他にももう1名加わって大掃除。
私はといえば、やっぱりパソコンのお部屋にこもって仕事。
いきなり小5の長男がお昼過ぎに帰ってきた!
今日から個別懇談会・・・もう2学期も終わり。
忍耐強くなってきたのか、
諦めがついてきたのか・・・
単純作業をいとわなくなってきた。
この先、もっと忍耐強くなって、
もっと諦めがつよくなると、
停滞が起こりそうな気がする。
それを防ぐには「苦手な事に挑戦し続ける」しかないのだけれど、
それは「居心地のよさ」と引き換え・・・。
「安心」は居心地の良い場所にはないということね(諦め)
試験の前になると違う事したくなるって、
誰にもあるのでしょうか・・・?
私にはありました、何度も。
大人になった今でもあります。
でも今は違う事しないで
ちゃんと試験勉強します、大人だから・・・。
あっ試験じゃないですよ、
やらなきゃいけないことって。
現実逃避とも違う感じ。
枠が決まると選択肢が狭まって
やりたい事がはっきり見えてくるのでしょうか・・・。
だったら、そちらを優先した方がいいんじゃないか?
(いけない、いけない、また現実逃避しちゃった)
夜の部のレッスンで、はじめて本部教室にいらしたお客様に
イレギュラーな作品をご指導した。
数百巻ある輸入リボンの種類と量に驚かれる。
「こんなに素敵なリボン、こんなにたくさん見たことありません」
そうでしょ、そうでしょ。
それで思い出したのがこんな出来事。
デンマークで見つけて購入した白地に墨でかいた漢字のリボン、
あまりに個性的で面白かったので違う事に使った。
髪に三つ網のエクステを2本付けて両端に
この漢字のリボンを小さく付けた。
つまりお下げ。
で、そのときなぜか綿のカジュアルなチャイナドレスを着ていた。
で、そのときなぜか税務署に用事があっていった。
チャイナドレスにみつあみ、漢字のリボンを付けた私に
税務署の職員はすごくゆっくりな日本語でこう聞いた。
「にほんご、わかりますか?」
完璧に中国の人と勘違い!
10年も前の仮装大賞のおはなし・・・。
(本人は仮装している気はなかったのだけど)
今年のキンモクセイは長すぎるくらい咲いていませんか?
大好きだけれど、
好きなのは澄み切った冷たい空気の中で香りに気づき、
一瞬で終わってしまうこの時期に、
「秋ね、さあ仕事しなくちゃ」と思うからで。
緊張感は単純に長い時間には耐えられないみたい。
とくにキンモクセイの香りに弱い友人が居て
この時期体調を崩してるとか・・・。
大変だ!ことしは・・・。
昨日疲れて寝ちゃった・・・。
ブログアップするの今。
良かった、日付変わる前に気が付いて。
って、何だか私だけの独り言ですが。
毎日毎日文字に囲まれていたら、
どこをどこまでフォローしたのかわからなくなって。
昨日一日だけでもメールマガジンの仕上げと
レポート2件、媒体に出す原稿・・・
表現をすることが文章を書く事に他ならなくなってる。
って言い訳の日記でした。
百合は百合だけの、菊は菊だけの、
小さなブーケを作って花瓶に活けたら
かわいい。
祖母の葬儀のときのお花。
そのお花たちが次から次へと花を咲かせる。
「次から次へ」と変化していくのは
生きている証拠よね。
はっきりした形にしようと奮闘するのは
生きているものを相手の時には
無理な気がしてきた。
「次から次へ」が正解なのかも。
たくさんあることがリスクになる事ってないのかしら?
たとえばこのホームページ・・・。
すでに1100ページ以上の情報があるけれど、
何か方向を変えたいときに
たくさんあるがために大変で二の足を踏む事は無いのかな?
何かを境に一斉に変えたくなるのが常である私にとって
ふえてくるものはプレッシャーになる。
こうして増やす作業をしていながら
矛盾する事を言うようだけれど・・・。
相変わらず『嵐』のことばっかりの高2の長女に、
私「自分が好きなものを他の人も好きだって知ったとたん
興味なくなっちゃう事って無いの?」
長女「昔はそうだった。
ピーチ味が好きだったけど、そうちゃん(弟)も好きだって知ったら
『そうちゃんはみかん味が好きでしょ!』って無理やり誘導してた」
(わるいやつ)
小5の長男「おねえちゃん、まぐろもそうだよね」
私「まぐろ???」
長女「そう。小さいころはマグロが大好きだったのに
そうちゃんが生まれてマグロ好きってわかってからは
『私はイカ』って・・・」
なんか世界が小さいけど、妙に説得力あるわね。
マイノリティなんて言う前に、もうパターンにはまってるだけなんだ。
こんな小さな世界で立証されちゃうと
脱力なんですけど・・・。
午後の予定のつもりで打ち合わせの用意をして出かけたら、
途中で連絡があって明日に変更になった。
せっかく外に出たのにそのまま帰るのも、と思い
急遽美容院に予約を入れて、髪を切る。
家に戻ると高校も小学校も明日は台風で休校のお知らせ。
週末はまたイベント・・・先週末もイベント、
その間に祖母が亡くなり葬儀をして
その一日前にはいとこが3つ児のパパになった。
「いつどうなっても良いように準備をする」のはむずかしいが
「いつ何がおこっても不思議じゃない世界に住んでいる」実感は・・・確かにある。
講習会で参加したイベント会場で
中学の同級生に会う。
参加企業の担当者として来ていた。
互いに35年分の報告と知っている同級生の近況を伝える。
講習会で参加したイベント会場で
昔勤めた会社の同期生にあう。
主催企業の担当者だった。
こちらは20年ぶり。
つまり・・・このような年になってきたわけだ。
何年も解決できなかったような問題が
思わぬところからほどけてくる・・・。
そんな期待感をもっている。
その糸口は自分の行動かもしれないが
最初の一歩は解決とは程遠い場所で
見当違いの一歩だったりする。
で、それでもまわりまわって
解けるべき糸は解けていく・・・
結論になっていないのはまだ途中のせいだが。
長女が使っている「Bamboo Art Master」が楽しそう・・・。
絵も掛けるし、写真加工もできるみたい。
仕様書を無視してせっせと描いている。
ペンなので細かい作業が楽なのだ。
皆がこんなの簡単に使いこなしちゃって・・・
どうしたらいいの?
またしても置いてきぼり・・・
小学校の同級生に10年ぶりに会った。
ギフトを頼んでくれたので直接お届け。
小学生の時の役割や雰囲気って大人になっても変わらないな、と
彼女を見て思った。
気立てが良くて面倒見がよく、
相談相手になってたのもしい彼女は
卒業して35年たってもそのまま。
相変わらず細かい気配りが完璧。
私は・・・というと、
「裕美ちゃんも変わらないよ。
なにか時空を超えてる感じが昔と同じ!」
そういえば、昔からぼーっとしていたんだ、私は・・・。
「50歳になったら記念に同級会やるから、
また決まったら連絡するね」と言う彼女に
「ありがとう」といってる私。
これも35年前と同じで、なんだかほっとした。
捨てたい病、再発・・・
周りのいわゆる更年期の知人たちが一様に
「指の関節が痛くなってぺットボトルのふたが開けられない」と言う。
だから来た来た〜と思った。
右手の中指、第二間接が硬直してる・・・このことね!
ぺっトボトルのふたはそんなに開けないからいいけど、
困ったのは布団の上げ下ろしのときに痛いこと。
うちは和室で寝起きしているので朝晩この作業がある。
だから朝晩痛い。
この一年あちこち身体的に今まで無いようなことが起こり、
「そういう年なんだなあ」と実感せざるをえない。
48年の永年勤続ご苦労様・・・とも言ってられないわ、
だってまだ半分だもの。
どうするんだ、残りの半分。
とりあえずがんばれ〜とでも言ってみますか。
あららら
庭の膝丈くらいの山椒の木に
アゲハチョウの幼虫が10匹ひしめいている。
腕で抱えられるくらいの山椒の木だから
そんなに大量の住人を養えるはずも無く
もうすでにはっぱは食べつくされ
枝ばかりの気の毒な姿。
そのうち1匹がすでに黒っぽいさなぎに変身済み。
木にはっぱが付いていないので丸見え。
無用心だなあ、と思ったが、
そうか、このこが最初さなぎになった時には
まだ周り中緑で覆われていたんだ。
その後の9匹に食べつくされちゃったのね。
それを見て「選択肢の無い状況に人より早く突入」するのは
すごい危険・・・なんてことを思った秋の暮れでした。
どうしたらいいんでしょう、
さなぎで越冬するらしいから全員変身したら
水槽か・・・
長女が雑誌を見ながら変な心理テストをしてきた。
「あなたは○○をしています。
次にあなたが選ぶのは1から4のどれでしょう?」
真剣に考えて誠実に「○番!」と答えた。
「ねえ、ママそれじゃないでしょ!
ちゃんと答えて!」
それで何がわかるの?
でも却下されたからもう一度真剣に考えて
それでもやっぱり答えは「○番」。
「ありえな〜い、
ママ、KY度 1%だって・・・」
ちゃんと空気読んでるわよ、いつだって!
この配慮に満ちた母の姿が目に入らんか!!
高1の長女が「私、最近『全然』の使いかたがわからなくなった」と言う。
彼女の言わんとしていることは
『全然』は次に否定形をつなげて『全然〜でない』と使うものと思っていたら
肯定もあり。
つまり『全然OK』な使い方がポピュラーになってきた・・・。
実は私も同感だったのが
なんとなんと『全然+肯定』は当初の使い方としてあったのだとか。
何のことはない、知識の不足が
勝手に作り出した迷信だったと言うわけ。
そんなこといくらでもあると思う・・・。
小学校からあれだけ「止め」や「撥ね」について
正解はこれ!と言われてきたものが、
学生時代の漢文の授業で「○○の形状が元になっていて
最初は撥ねていたものがだんだん止まって今の形になった」なんて話を
聞いたときには(逆だったかもしれないけど)、
あまり『今』にこだわっても意味がないなぁなんて思った。
ひとつの過程でしかないものが、短い期間で見ると
「正解」になっちゃうのよね・・・。
その短いって「千年」だったりするんだけど。
呼吸だけしていても何も入ってこないのよね。
引きこもって精神的には安泰な日々を送っているけれど、
ここのところ友人から聞く外界の話は魅力的で
「これでいいのか?」とも思う。
当然のことながら機械損失を起こしている。
ただ、「動く」のに50%、
「戻る」のにも50%のエネルギーがいるから、
常にフラットな状態で居るには、
全力で動きすぎたらダメだし・・・。
な〜んて、疲れる先のこと計算してるようでは
当分このままかな?
何事にも多面的な角度から見た判断があって、
でも言い切らないと伝わらないときがある。
で、言い切っているときの自分は
あまり好きじゃない。
本当は、あなたの言っているそれもあり、
これもあり、どれもありよね・・・
と思ってしまう。
言い切らないと前に進めないから
そうしてるけど、
前に進まなくても良いときまで
言い切っているのはどんなものなんだろう・・・。
何事にも多面的な角度から見た判断があって、
でも言い切らないと伝わらないときがある。
で、言い切っているときの自分は
あまり好きじゃない。
本当は、あなたの言っているそれもあり、
これもあり、どれもありよね・・・
と思ってしまう。
言い切らないと前に進めないから
そうしてるけど、
前に進まなくても良いときまで
言い切っているのはどんなものなんだろう・・・。
人それぞれの苦手なものがあると思うが、
私の場合は「誰が責任を取るのかわからない状況恐怖症」。
流れでなんとなく押されてすすめられていく事に
恐怖を感じる。
いつもそういったことからなるべくはなれて
責任の所在がはっきりしているところに
居たいと思っている。
「あなたは移民についてどう考えますか?」
えっ移民?
いきなりそんな社会的な問題を切り出したのは
小さな晩餐会でお隣になったデンマーク大使。
2001年の春、北欧がからむ行事で長野を訪れたデンマーク大使夫妻と
友人方のお部屋のディスプレイをさせていただいた。
カラコレスのデザインや素材が北欧に縁のあるものと
いうことから。
このイベントの主催者側は晩餐会にどなたも出席されず
4人のお客様たちに私という不釣合いな晩餐会が開かれたのだ。
「長野はどうですか?」とでもお聞きすればよいのかと
思っていた私にいきなり浴びせられた質問が
件の「移民」の問題・・・。
「日本は移民を受け入れていないので
デンマークと状況がちがいます」と
しどろもどろに答えた。
「宗教と政治の話は会話に乗せない」って言ったじゃないと
中学の英語の先生を恨めしく思いながら。
デンマークに少しでも暮らしていると
この課題を肌で感じる。
異邦人である事を忘れてしまうくらいに
雑多な国の人たちが多いから。
デンマーク大使が隣に座った初対面の日本人に
最初に聞いてみたくなるほどの課題だ。
人口が500万人そこそこで、
「世界で最も幸福を感じている国」。
と同時に思い出すのは、デンマーク大使との会話。
政治に疎く誰が何党かわからないような私も
今日が歴史にのこる政権交代の日だとはわかる。
で、脈絡なく思い出したのがこんな場面・・・。
いまさらですが・・・。
「無駄になってもいい」と思ってすると、
結構物事がスムーズに行く事に気が付きました。
(47年人生をやっておりますが今気が付きました)
・・・で?
いえ、別にそれだけなんですけど、
もうそれで充分な気がします。
優先順位を考えたとき、その先のことまで考えて
状況が変わるかもしれないから手を付けないでおこう・・・と
動かないことが多かったのです。私は。
でも別にいいじゃない無駄に終わっても、
今やっておけば。
そう思ったら不思議と気が楽になりました。
今日も「無駄になるかもしれないこと」しよっと!
あっこれってすごく元気でるかも・・・。
狭いところに大勢が何かの順番を待って並んでいる。
しかも出口が少ない。
並んでいる向きが決まっていて
逆走できないとき。
情報も少なく、どうしてそこにそうしているのかわからないとき。
私の苦手の最たるもの。
今日はからずもその状況に突入してしまった。
心臓どきどき。
気が小さい自分を再確認です。
久しぶりに友人と食事。
友人はこのあと今日はこれから伊那へ行くというのだ。
もうお昼なのに・・・。
正直おどろいてそう言ったら、
「何言ってるの?
私朝松本まで往復してそれから上田まで往復なんてこと
しょっちゅうやってるよ」と言われる。
すっすごい・・・。
パワー切れの私には考えられない。
「ここの地のこれだけが見たくて訪れた」
そういう場所がいくつかある。
イスタンブールのスルタン・アフメット・ジャミィ
通称ブルーモスクと呼ばれるオスマン王朝最盛期のモスク。
世界で最も美しいモスクと称される。
内部を飾るのは数千枚の青い「イズニックタイル」。
その一枚一枚を自分の目で見てみたかったから。
トルコの原産で国花でもあるチューリップは
イズニックタイルにもひんぱんに登場する。
間近で見るタイルのかわいらしさとは裏腹に
数千枚のタイルが集まった巨大な空間は
一気に荘厳で空気にも比重を感じた。
惹かれるものはノスタルジックな陶器であることが多い。
これだけ意識して見ているのだから
仕事に反映していないはずがないと思う、
かといって日常の陶器にこだわってなど
全然いないのだ。
日常と非日常はそれくらいものすご〜く離れている。
だから安心して非日常への旅も出来る。
長野の代表校が甲子園で強豪に勝って3回戦へ。
長女の中学のクラスメイトも確か
この学校の野球部へ進んだ子がいたような気が・・・。
8回から9回への盛り上がっているところだけ
見ることができた。
午後、体調を崩し病院のテレビで
やっぱり3試合目の8回と9回を見る。
どちらもちょうどその回が見せ場。
3試合目の最後さよならホームランが入ったときには
そこにいる男性患者たちから歓声があがった。
たった2試合、緊迫感のある2回を見ただけで
疲れていて、なんとも軟弱。
お盆休みしっかり休んでさあお仕事・・・というのに
今ひとつ歯車がかみ合わない一日。
って、別にどうでも良い話題。
しかも全くもって個人的記録の極み。
だから個人的にお祝いするの、
去年の8月17日に始めたブログが365日、一周年。
その間一日の休みもなく・・・・
(ほんとに一日も休んでない。
内容はくだらない事でいっぱいだけれど、)
「継続だけが力なり」
このサイト管理の担当の方と
社会の先生、それと国語の先生には報告して
「第三者の承認」を無理やりもらうことにしよっと!!
もしお付き合いいただいている方がいらしたら
次の二周年に向けてまたがんばりますので
よろしくお願いいたします。
二周目には少しはましな話題を・・・
な〜んて、多大な目標を持つと続かないので、
やっぱり取るに足らないこと書きます!・・・と断言しておこう。
カラマツ林に囲まれた家の窓からは
新緑が窓枠いっぱいに広がる。
カッコウやウグイスの声で目が覚めて
空気はいつも山の香りで満たされている。
そんな私にとっては理想の環境に暮らした事がある。
この仕事を始めるきっかけにもなった、
15年ほど前のこと。
あの頃に帰りたいと思って仕事をしているが、
実際のあの頃はどうだったかというと、
環境には感謝しつつ幸せを味わいつつも
「それなりの日常」に翻弄されていたのだ。
・・・だから日常を切り離してそこに戻るには
「旅」しかないのよね。
旅だけ続けていたら「逃避」になってしまうし、
結局最後はどこにいても責任取るようになっていますね。
理解できるだけの狭い範囲で
理解できるだけの小さな仕事をするというのは
別に全然おかしくないんじゃないかと思う。
そうありたいといつも思っているし、
いまもきっとそうです。
と、タイトルを付けてから、
自分が順番に番号を振るのが好きなことに気が付いた。
結構、いろいろなものに番号を振っている。
何のために・・・といわれると、
なんだろう? 好きだからかも、
1の次に2が来るのが・・・変?
番号でインデックスを作ってあとで調べやすくする、
というような検索目的も時にはあるが(もちろんアナログで)、
ただ単に好きなのだと思う。
これってコンプリート癖とはまたちがうのよね。
だって私、コンプリート癖ないから・・・。
あっそうだ、ハリネズミのモリー。
最近、甘える事を覚えて、
手のひらに載せると顔をうずめてくる。
あの微妙な距離感がなくなってさみしいが、
これはこれでもちろんかわいい!
夏休み・親子企画のイベント会場の隣がゲゲゲの〜の一連のイベント「ようかい食堂」。
お化けっぽいメニューが並んでいる。
午前午後と、丸一日をレッスンで過ごす自分とスタッフのために
昼食をここで調達。
「目玉焼きバーガープレートサイズ」を人数分オーダー。
出てきたのはお皿いっぱいのハンバーガー。
目玉焼きが一応「目玉親父」っぽい?
美味しいけれど厚みがものすごい。
ペーパーにはさんでほおばる目の前の中澤先生の顔を見て納得。
「妖怪」は食べてる私達のほうだったのね・・・
明日は長野市の夏祭り「長野びんずる祭り」。
むか〜しお勤めしていた会社で毎年連を出していて、
その頃になると踊りの練習があった。
当日、女子社員は美容師さんに髪をセットしてもらって
はっぴと地下足袋で踊る事3時間・・・。
暑〜いアスファルトを地下足袋で踏む感触を思い出す。
今そんなことしたら次の日寝込むことは間違いない。
パワーがあるときにパワーのいることやっておいて良かった!
何が来るかというと、
別に何も来ません。
私にだけ意味のあるカウントダウン。
このブログ開設1周年!
(あまりに個人的で瑣末な事ですが)
「一日も欠かさない」という
まるで子供の目標みたいなのを掲げて349日。
過ぎてきたカレンダーは真っ赤。
なんとか継続中・・・。
お付き合いくださった方がいたとしたら
ほんとにほんとにありがとうございます!
皆様のお役にたてるような・・・なんて高尚なテーマは吹き飛ばし、
ただただ続ける事だけ、はしることだけ考えてました。
たぶん、もう止まる事はないと思います。
習慣になったので・・・。
次の目標・・・やっぱり続ける事。
進歩のない私です。
どうもあきらめないと前に進めないときって言うのが
あるのかも・・・。
どこをあきらめるのかが重要ですが。
我ながらエネルギーに欠けるなあと思う。
一方、母達の年齢周辺は妙に元気。
今日も子供達がお世話になっているお習字の先生が
届け物にいらしてくださり、
「時間を追いかけるようにならないといけないって言われるけど、
なかなか。
毎日その日の日程をこなすのがやっと・・・」とおっしゃる。
でも、その先生の積極性とパワフルさと
「忙中閑あり」を地で行く姿は
たくさんのお弟子さんに元気を与えているはず。
私も一応毎日ステップを踏んではいると思うが、
そのステップって段差がすごく少なくて、
エネルギー量最小で踏めるステップ。
この段差のちがいは何でしょう?
ずいぶんコンパクトな世界に生息しているなあと
自分でも思います。
子供達は学校でそれぞれ46年ぶりの皆既日食を見たのだそう。
私は準備をしてないのでちらっとだけ、
「今そうなんだろうなあ」くらいな感じでお日様をのぞいた。
思えば「今世紀最大の」とか「歴史に残るこの瞬間」とか
表現はいろいろでも、そう言った瞬間にたくさん立ち会ってきたはず。
それなのにほとんど記憶に無い。
私の記憶にもっと華々しく足跡を残してもよさそうなものなのに・・・。
1つには、皆が集まるところには
敢えて行きたくない天邪鬼な性格だから。
もう1つには与えられた環境には
あまり興味が無いのかも。
「歴史に残るこの瞬間」にも積極的にかかわっていれば
自分の主体性も感じられるだろうけど、
なんといっても人の興味を示すところへは行きたくないのだから・・・
堂々巡りで、結局そう言った場面には
接点の持ちようが無かったんだと納得です。
方向音痴には自信がある。
今日も長野市内のちょっと遠くで迷子になり、
行き会うはずの知り合いに途中まで迎えに来てもらう。
私の日常の行動エリアを見ると
大体半径2キロの円に収まる。
これを言うと300キロくらいの移動を
ひんぱんにしている友人に笑われるが、
とってもコンパクトな生活。
ここ数年、拍車がかかっている気がする・・・。
長女が高校でやってみたと言う、
人材派遣センターの「適性・適職診断」をむりやりやらされる。
90も設問があって、とんでもないので
長女が口頭で聴いて私がはいかいいえ、どちらでもを答える。
結果、あなたは「統率する」気質です。
良い精神状態の時は
「単刀直入、誠実、精力的、気取らない、自信がある」
一方悪いときは
「反抗的、鈍感、傲慢、自己中心的」
「何事にも第一人者になろうとする自己主張タイプ。
合う職業は起業家、経営管理者、スポーツ選手など」
長女「ママは戦国武将みたいだねえ。
周りに理解してくれる人がいないと大変だね・・・。」
そういう彼女は「調和と平和を愛する平和主義者。
広く寛大な心を持ち、周囲に安らぎを与える。」
読んだだけでコンプレックス・・・
リプトンのリモーネのアクセサリー・コレクション
第5弾のスイーツを発見。
チョコレートワッフルがかわいい。
マカロンもクリームたっぷりのが一種類入っている。
今回はピエール・エルメとかのコラボではなくて
リプトンのオリジナルとか。
コンプリート癖は無いけれど、
参考のためにそこにあった5種類を購入。
メインが完全におまけのほうになっているのはすごい。
急にパワーストーンにはまった友人、
中でもスギライトという紫色の石がお気に入り。
日本人の杉健一と言う方が発見した比較的最近の石で
人気急騰中だとか。
ヒーリング効果はパワーストーンの中でも最高峰で
特にネガティブな思考を寄せ付けないのらしい。
ネックレスにして身につけ始めた彼女に
「何か変わった?」と聞いたところ
「すべてがいい加減になってきた」って。
それはすばらしい!
とにかくきっちり屋さんの彼女、
自分が作った枠に翻弄されていつも疲れているのだから
そのくらいでちょうどいいと思う。
ふ〜ん、パワーストーンってほんとに効果あるのね。
私の手元にはお守り代わりのちいさな水晶の原石。
鉱山をやっていて、もうずっと昔に亡くなった祖父が母へ贈り、
母から私へ回ってきたもの。
この石も、私のこと守ってくれているのかなあ?
まじめに考えた事無かったけど、そうなのかもね。
毎日時間がたつのが早い。
スイーツの本を10冊ほど積み上げて読んでいたら、
高2の長女が見つけて「かわいい、美味しそう、作りたい!」
小学生のころ、お菓子作り教室に通っていた彼女
こういうことは大好き。
私「作れるんじゃない?」
長女「出来ると思う。時間さえあったらね・・・。」
(そこで負けちゃダメよ)・・・と思う。
些細な事だけれど、その言い訳はとってもとっても強力で、
正しく聞こえるその言い訳でいくつも可能性をつぶすのよね。
彼女がそんなことを言ったのははじめてで
大人になってきたなぁ・・・と感じた。
車が壊れる。
ロードサービスの自動車屋さんが来てくれて色々点検。
ていねいな、
すご〜くていねいな説明をしてくれるのだが・・・。
わかりません。
私の聞きたいことと先方の説明したい事が
ちょっとずれてるんじゃないかと。
私の聞きたいことは「どうすればよいのか」
そのための選択肢を端的に示してほしい。
先方が説明してくれるのは「なぜそうなったのか」
車の構造をていねいに教えてくれる。
う〜ん・・・
生徒さんの結婚式に出席して
戻って直ぐに紙面掲載用の写真撮影。
結婚式は久しぶりで花嫁はキュートでかわいく
そこかしこにこだわりが。
写真撮影は備品も持ち込んで
カメラマンさんといつもの如く
ああでもないこうでもないと実験
記憶に残るのは「こだわり」の部分かな・・・
会社勤めをしていたときも、
6月が一番苦手だったなあ・・・。
あと2日。
6月生まれの人、ごめんなさい。
会社勤めをしていたときも、
6月が一番苦手だったなあ・・・。
あと2日。
6月生まれの人、ごめんなさい。
イベントのパンフレット類を取っておくことが出来ずに
少し集まるといつも整理してしまっていた。
熱しやすくてさめやすいから。
ところが、20年前に観たあれってどんなシチュエーションだったっけ?
最近そんなことが重なって、
いつになく後悔したりしている。
手元に何も残っていないので、あるのは記憶だけ。
先のことにしか興味のなかった私が、
先のことと同じ重さで
「過去のこと」に興味が行く日が来るなんてね。
長女の高校の文化祭に行く。
昨年に引き続きクラスごとにさまざまなテーマの催し。
高校生パワーを存分に発揮している。
それにしても、
こういった企画とか演出とか編集とか、
およそ大人になっても必要となる技術って
もっと小さなときから鍛えられてもいいんじゃないかと思う。
「教え込む」や「習ったものを発表する」とは違う形で。
「自由な枠組み」の中で思い切りアイディアを練り、
発表する場には「ほんの少しのフォーマルさ」
数人だけでも仲間や先生以外の観客がいるといいかも。
自分がこの手のこの技術が不足しているのを
痛感したのは仕事を始めてからで、
もっと早くから慣れておけばよかったと思ったもので。
レッスン室の床が2重になっていてつまづく。
これは友人のフラメンコダンサーの置き土産なのだ。
レッスン室の半分をステージにして衝立だけセット、
暗くして照明もはずしてスポットライトのみ・・・。
もう半部のスペースに椅子を入れ、
ほんの10人くらい観客が入れるにわかタブラオに変身。
長身で美人の彼女が回転するたび、
スカートが観客席までとどく近さの贅沢なショー。
あとはギターが本物だったら最高なんだけど・・・。
彼女は長女の子育て中に出会った友人で、
私もカラコレスを始めたばかりの頃、
お互いに仕事と家庭と子育てでバタバタしていた頃のはなし。
二人とも何の実績もなく、
ただただこの先やりたい事のプランだけが山積みで。
大学で法律を学び法務関係の仕事をしていた彼女は
「人の作った法律の中で生きていたくないから」と
フラメンコダンサーに転身。
ずいぶん迷った末、単身でスペインに行き、
先生に付いたりもしていた。
今はシンガポールで家族と暮らし、
そこで本格的にフラメンコを続けているはず。
日本に戻ってきたときに、
もう一度ここで踊るかもしれない彼女のために
床はそのままになっているの・・・。
そのときが来ても、来なくてもいいから。
お裁縫上手の友人に昨日の三脚のケースを
手作りしてもらう事にした!
彼女曰く「でも軽井沢でしょ、
このサイズのケース持って山の中歩いていたら
絶対にくま撃つひとに見えるよ!」
だそうです。
・・・確かに。
毎日毎日色々な物事を
それなりにこじんまり完成させているわけですが、
それが続くと反動が起こります。
完成させたくなくなる。
仕掛け放しでとめておきたくなる・・・
反動だとわかってはいても
そんなのが今の私には一番贅沢かも。
プライベートも含めて、
最近「猫に小判」的な出来事が多い。
ずっと続けていると、何かを堺に
「姫に小判」になるんだろうか・・・?
臆病で外からの刺激に直ぐ針を立てて攻撃をする
なかなか慣れないけれど、忍耐強く接していると
心を開いてほんの少しお友達になれる。
夜行性でお散歩しているところを目撃できない。
モグラの仲間で周りを慣れた物に囲まれているとほっとする。
背中の針の間に産毛がないので寒さに弱く、意外と身を守れない。
目は悪いが勘は良い。
狭いところや隅っこが好き。
口が耳まで届きそうなくらい裂けていて、鋭い歯がある。
怖がらせるといきなり噛み付く。
コミュニケーション能力が低い。
癒し系ではない。
馴れ馴れしくされるのがきらい。
母性に乏しい。
ほっといてくれと思っている。
でもちょっとは遊んでよ、とも思っている。
ハリネズミらしくしているのが好き。
・・・・・・私のこと?
共感能力の極めて高い友人がいる。
映画館の「泣かせるドラえもんのポスター」を見ただけで
号泣しコンタクトをなくした。
その彼女が最近ミョーなことにはまっている。
「聴くだけで痩せるCD」
何でも聴いていると脳からなんとか波が出てきて
痩せるらしい。
しかも共感能力が高い人ほど効果が早く現れるのだとか。
「なんとなく効いてきた気がする」と彼女。
うらやましい!
私は自分の共感能力がとってもとっても低い事を知っている。
テレビを見ていてもらい泣きする事などない。
けれど、今度だけは共感能力の高い人がうらやましい。
私も脳から波動を出して痩せたい!
ただ彼女の言った「だって980円だったんだもん」・・・が気になる。
大丈夫かなあ?間違って、脳の違う部分に作用して
「太るなんとか波」が出てきたりしないかって・・・
学生時代は歌舞伎に熱中・・・
いえ、私じゃない。友人達が。
時代はまさしく阪東玉三郎と片岡孝夫(現仁左衛門)コンビの
歌舞伎の黄金時代
仲の良い友人達に段取りしてもらって
(私は決して自分ではしないので)
歌舞伎座や新橋演舞場に通い詰めた。
孝夫さんに熱狂している友人が居たのだ。
私は下座のお囃子が聴きたくて
お三弦の音色と長唄を子守唄にお昼寝をする最高の贅沢を味わったっけ。
玉三郎の「京鹿子娘道成寺」その時代に観ておいてよかった。
残念なのは伝説とも言われた孝玉コンビの
「桜姫東文章」を見ていないこと。
今回縁あって、現代版に書き換えた「桜姫」を観られる!
(やっぱりチケットは手配してもらってる・・・)
ここのところ、学生時代に中途半端で終わったことの
切り口を撫でるようなことが沢山起こって不思議。
そういう時代ってこと?
とにもかくにも「桜姫」楽しみ・・・
仕事の区切りが一瞬できたと思ったとたん
病院にいく羽目になる。
いつもそうだ・・・。
不思議と「今絶対にダメ」という時には
体調が悪くならない。
今回の区切りは一瞬なので、
一瞬で治ってくれないかな・・・と
虫の良い事思ったりして。
緊張と弛緩がわかっているようで
体は本当に正直だなあと思う。
あれだけ気合を入れて宣言していた
今回のダイエット・・・挫折しました。
何でこんなに宣言してるのに
続かないのかなあ・・・。
で、いつも行く美容室に
私と同じくらい「努力をしないで痩せたい」と
思っている美容師さんがいる。
その彼女に、新たなウェストシェイプの方法を伝授してもらった。
簡単で、そんなに一生懸命やらなくてもいいの♪
今日からやるんだ〜。
「効果ありましたよ」って言うから。
ただ気になるのは、やっぱり彼女も
一ヶ月で挫折してるってこと・・・。
今回もまた?
最近、あまり遅くまで起きていられなくなったみたい・・・。
特にお昼でも夜でも
食事の後すぐ眠くなって困る。
最後の一口を飲み込んだあとすぐくらいから。
これって何なのでしょう?
脳から血液が胃に向かって一気に流れてる感じ。
もしかしたら、血液がさらさらになったのかなあ?
だから途中引っかからないで前よりも早く
胃に到着するようになったとか・・・。
健康度が増強したと判断する事にしよっ。
(間違っても年のせいとは言わないのだ!)
今日カルチャーのレッスンでまたまた血液型の話になった。
デザイン性と血液型にカラコレス的傾向があるというもの。
上田からいらしているお客様が
「うちの息子が太鼓を習っているけれど、
そのメンバーほとんどAB型なんですって」
ほう・・・。
デザイン性以外の要素ですね。
AB型はリズム感が良いという事でしょうか?
そういえば私の仕事を10年近くずっと担当してくれている
デザイナーさんも太鼓を習っていたっけ。
彼女のレイアウトは確かにリズム感があって、
そこに惹かれたのだわ、私は・・・。
今度AB型かどうか聞いてみようっと。
「うつにならないようにするには
栄養をたくさん取らなければいけない」と聞いた気がした。
それからがんばってたくさんご飯を食べるようにした。
何といっても精神状態は大事ですからね!
ところが今日、その話を聞いた本人に確認したら
「そんなこと言ってない!
ビタミンと○○(ほらもうすでに忘れてる)を
取ればいいって言っただけ」と呆れられる。
え〜そうだったんだ!!
もっと早く確認すればよかった。
思い込みによる絶好調の精神状態と引き換えに
着れなくなったお洋服がたくさん・・・
どうするんだ? これ・・・。
教室はお休みの今日、
永田先生がもう直ぐ2才の長女を連れて
デザインの準備にやってきた。
このくらいの子ってまるでお人形だ!
そこへ樋口先生がおっきなおままごとセットを
抱えて登場・・・。
今年年長さんになる長男のおままごとセット!
永田先生の家に譲り渡す。
我が家から樋口家へはムシキング一式を譲渡
こうして私やスタッフがバタバタ仕事している間にも
お互いの子供達は譲り合ったおもちゃで
成長していく・・・。
先日のレッスンで、ワイヤリングした素材を
左からきちんと等間隔に並べている方がいらしたので
「医療関係にお勤めですか?もしかして看護士さん?」
ピンポーン!
ついでに「血液型O型ですか?」とお聞きすると
こちらも正解!
久々のパーフェクト・カラコレス占い。
あまりに当たると返って不気味に思われてしまうんだけど、
O型が几帳面なのは私の中では確信。
規定演技が得意。
ちなみに几帳面に思われるA型は、
細かいだけで几帳面ではありません。
なぜわかるかって?
私、自由演技に強いA型だから。
税理士事務所から税理士さんとスタッフの方がいらして
パソコンの設定をしてくださる。
レッスン室のブーケなどなどを見ながらお話していると
そのスタッフの女性,
「私、高校生のときにウェディングドレス作って
自分の挙式のときに着ました。」ですって。
お裁縫も算数も出来ない私には信じられない。
高校生がウェディングドレス?
しかも何でそのあと税理士事務所で会計の仕事なの?
数学と針と糸って共存するんだ・・・。
天ってかんたんに二物を与えるのよね! ずるいぞっ!!
そういえば、昔家庭科でおさいほうの時間、
私が縫ってるのを見た友人が
「裕美ちゃんの縫い方、畳職人みたい!
針が上下に動いてるね」って。
自分の不器用さを再確認した日・・・。
プリザーブドは花粉症にならないからと来て下さるお客様もいる。
花の咲く季節は花粉症、スタッフは周り中全滅。
私は全く軽めの花粉症に時々軽めに喘息。
家の中でガラス越しに外の花を見ているのは
金魚になった気分・・・。
一番花がきれいな季節に皆さん外が怖いとは、
悩ましいことです。
これから何か趣味を始めるとしたら・・・。
「魚釣り」やってみたい!
一度もやった事がないけど、でももし始めたらはまりそう・・・。
(どうぶつの森のお魚釣りだってあんなに楽しいもの)
船に酔いそうだから海には出れそうもないし
釣堀も物足りなそう。
やっぱり景色がきれいで水がすんでいる川で、「渓流釣り」するんだ!!
樋口先生と安部先生に話したら、
「渓流ってどこにあると思ってるんですか?
タクシーで『渓流行ってください』って言っても連れてってもらえないんですよ。
山奥なんだから!」
「坂本先生の体力じゃムリ! 海へ行って堤防でひざ下ろしてやりなさい。」
と言われた。
ふ〜ん、そうなんだ。
なんだかイメージしてる「釣り」と違うけど・・・。
50歳を目前にして、「思いつくこと全ては体験できないんだ」と、
当たり前のことに今さら気づく。
これからいくつ挑戦できるか!
余談だが、母は70を過ぎてからハーモニカに挑戦し
4本を駆使し、重い譜面台を担いで楽しそうにレッスンに通っている。
思いつくこと全部は出来ないけど、
それを考えればまだまだ全然余裕じゃない。
見てなさいよ、両先生!
渓流で釣ったイワナの塩焼き、今に食べさせて差し上げるわ!!
自分にとってのおまじないみたいな事、
何かあるかなあ・・・。
子供のころはたくさんあったような気がする。
いるかいないかわからないけれど、
神様にお祈りする、とか。
この服を着ている日は「ラッキーなことがある日」とか。
道でお散歩しているあの犬に会ったら「良い事がある」とか。
そんなのたくさんあったような気がする。
大人になるにつれそういうことが少なくなって、
とっても現実的になってきて・・・。
おまじないが必要だなあって最近思う。
自分ひとりでできる事なんて、何もないもの。
長男10才が39度の熱とおなかが痛いので緊急医に掛かる。
インフルエンザがはやっているので熱が出てすぐに行ったのだが
ウイルス性の胃腸炎とのこと。
それにしても・・・
問診の時は看護士さんがてきぱきパソコンに症状を打ち込む。
診断の時はお医者さんがてきぱきパソコンに症状を打ち込む。
「○○は?」「え〜と(はっきり覚えていない)、○か○です。」
「では○○としておきますね」(最初に解答欄ありき?)
それを見ていて思い出した。
日ごろいろいろな事をなるべく順序だてて、
繰り返し行なう作業は簡略にしたいと願っている。
けれどそこで気をつけないと落としてしまうのが
「個別の」に対応する部分。
その矛盾でいつも悩んでる。
嵐のように患者さんがやってくる病院ではそれがありでも
うちではどこまで出来るのか
「整理してシステム化したい!」と騒ぐ私に
「そんなこと絶対ムリ」と断言するクリエイターの友人。
今日のこんな事を話すと「ほら、だから言ったでしょ」と
笑われそう・・・。
記憶がないのに腕に大きな青アザができてる。
記憶がないのにおでこにぶつけた後があって
ちょこっとコブになってる。 痛っ
大丈夫か・・・わたし
アシスタントの久保先生のお話。
飼っているワンちゃんのおなかを見たら、
毛が抜けている部分があって、
しかもおできが出来ていた。
あわてて獣医さんに連れて行き見てもらったら、ひとこと。
「これ、おへそです・・・」
「は?」
意外にうっかり者の久保先生の最新情報でした!
長女16才「ママ、ハッピーエンドじゃない映画って好き?」
私「好きじゃないけど、それが真実だとは思う。
いいときも悪いときもいろいろあるから。」
長女「ママは現実的だね。」
だって「エンド」って生きてる間は経験できないもんね!
金曜の夜、人の集まる場所だというのに
タクシーがいとも簡単に拾える。
土曜のランチタイム、おしゃれなスポットだったはずが
レストランもがら空き・・・。
仕事で3日いた東京で・・・。
家族に宣言、「私今日から『人並みの○○』を辞める!」
夫はいつもの通り、ニコニコしている。
16才の長女「それってウケ狙い?」
・・・え?
「ママが『人並みの○○』じゃないってことは幼稚園のときから気が付いてたよ。
目指してたんだ!残念ながら達成されてないねえ。」
知らないのは私だけ?
スタッフにも「私もう『人並みの○○』を目指すのやめるの」と言ったら
大爆笑! ???
「目指してたんだ、あれでも。ムリムリ!」
ここでも知らないのは私だけ・・・どうなっているんだ!?
わかったような気がする!
今日30分、人と話をしていて・・・。
私の「せっかち」と「後回し」という両極端の性格が
混乱を招いているんだってこと。
どちらも私なので、どちらも否定できない。
で、私にとってその二つを結ぶのが、
「締め切り」と「約束」と「公言」。
この3つは日ごろからかなり意識して使っているけど、
意識しきれていないところが課題みたい。
行動経済学で言うと「時間割引率が高く(せっかち)」、
「双曲割引も高い(後回し傾向強い)」私が
「コミットメント(締め切り、約束、公言)」で
自己管理している状態らしい・・・・・むっむずかしい・・・。
で、そんなむずかしいのはともかく、
「せっかち」と「後回しの予防」がうまくつながっていない部分は
「締め切り」と「約束」と「公言」がうまく働いていないからで、
・・・つまりは「詰めが甘い」ということ。
この詰めの甘さのせいで
中途半端に終わっていることって山ほどある。
何でしょう、ここまでわかれば、
できる事ってたくさんあるんじゃないでしょうか・・・
てんびん座の友人が星占いを見たら
「今日が人生で最高の日、夢がかなう日なんだって!」
で、翌日、「何かすごい事起こった?」と聞くと、
「別に何も。いつもどおりの一日だった」
「私って『普通の一日を普通に過ごすのが夢だった』ってことがわかった」
・・・それはそれで、すごい発見じゃないでしょうか・・・
TVドラマで有名になっている地でタクシーに乗る。
聞いてもいないのにドライバーさんが色々教えてくれる。
「左に見えるのが○○山で山に木が生えてないのは・・・・で」や
「今度はぜひ桜の季節にいらしてください、
お堀に桜が映ってきれいなんですよ」とか。
桜の季節に来る予定はないけれど、
つい来たくなってしまう力説だ。
「お客さんが勉強していらっしゃいますからね、
私達もがんばらないと」とも言っていた。
そうでしょうとも、両親を見ていても、
まずドラマを見て、それから勉強してその場所への旅程を組むのを
楽しみにしている。
旅行者は皆、その地に関してすでに物知りなのだ。
案内する方はそれ以上に知っていないとならない。
うるさいドライバーさんはきらいと言う人も多いけれど、
私はタクシーのドライバーさんにいろいろ聞くの、好きなので楽しかった。
正しい営業努力と言う感じで。
「裕美ちゃん、イヤリングはずしてみて!」
いきなり学校近くの喫茶店で、ニューハーフの先輩に言われました。
「牛に引かれて善光寺参り」、
の善光寺御開帳が4月5日から始まる。
7年に一度、秘仏の本尊に変わり
前立本尊が御開帳されるというもの。
7年に一度なので、「○回前の御開帳ではこんなことしていた」という
記憶にも残りやすい。
あるときの御開帳では、そのころ通っていたお茶の先生に頼まれて、
友人と一緒にお茶席に付かれるお客様への抹茶のお運びをしていた。
着物を着てお盆に落雁とお抹茶を載せ、立ったり座ったり・・・。
多い日には1000人近く茶席に付かれ、それを4.5人でこなしていたので
もうこれ以上ない超ハードスクワット!
次の日にはあちこち痛くて大騒ぎだった。
今年は御開帳の期間中に「母の日」がやってくる。
GW明けにまたながの東急正面玄関で10分体験レッスンやります。
どんな事になりますか?
あのときの御開帳では・・・という思い出になりそう。
5/8(金)、9(土) ながの東急正面広場にて。
遊びにきてくださいね!
祝日で仕入れも出来ず、行った先でする事がないので
立て続けに映画を観る。
普段、滅多にというより、年間通してほとんど全く観ない映画を
間髪いれずに2本。
予備知識無しで観てしまったら「重くて」大変だった。
イヤだった訳じゃなくて、なんとも重いテーマだったという事。
そのあとおしゃれなカフェで「乾いた」サンドイッチを食べる。
祝日の割りに人出が少ないのは、「高速料金値下げ」のせい?
家に帰ると、夫と小4の長男から電話。
こちらは「ヤッターマン」を観たって・・・。
家族して、日本各地で「映画の日」。
「自分が疲れている時は、周りも疲れていると思いなさい」とは
学生のとき先輩に言われた一言。
最近は疲れることって、ほとんどないけれど
この「自分が○○の時は、周りも○○・・・」って
意外と忘れがちな視点だと思う。
「自分だけは○○」と思うことはよくあることで。
でも面倒なのは
「周りが○○だから、自分も○○に違いない」は
やっぱりウソ。
この辺の加減が難しいなぁ・・・。
3月3日のブログを読んだ友人が、
「あなたに私のネガティブがうつっちゃったかも・・・」と心配してくれた。
『落ち着きでもなく、あきらめでもなく
コップにそれほど水が入らないとわかったらしい・・・。』という部分。
びっくり!
言葉で伝えるって難しいと思った。
だって、私は結構幸せな気分で書いたんだもの。
自分にたいした容量がないとわかれば
おのずと中に入れるものも、順番も考えるし、
もっともっとと幻想を追い求めるよりずっと健全じゃないかって・・・。
価値あるものをきちんと入れたいというだけで、
とっても平穏な気分です。
安心してね。
ある文章を読んでいたら「真実」についての記述があった。
「真実」と向き合うのは骨が折れる仕事で、
その痛みを忘れるために脳が否認や合理化を行なう。
けれど一度勇気をもってそこに向き合えば
状況は打開する・・・というようなお話。
経験した事に限っては「その通り」とはっきり言える。
ただ気になるのは何をきっかけに
「向き合っていない」自分に気づくのかなあということ。
だって不思議でしょ、自分では真実を見ていると思っているんだもの。
ずっと忘れられないSF小説がある。
小学校3.4年のときに読んだもの。
地球崩壊の目的で送り込まれた宇宙人がいて
ある家族のお父さんに入れ替わり普通の暮らしを送ってる。
彼は与えられた使命も過去の記憶も消されてるので、
本当に自分はこの家のお父さんだと思ってる。
ところが状況証拠を積み重ねていくうち、
「この自分はもしかしたら本当の自分じゃないのでは?」という疑問が・・・。
そしてそれをつぶやいた瞬間、彼のからだの中で
「カチッ」と起爆装置のスイッチが入る音がした。
スイッチを入れるキーワードは
「自分の存在を疑うこと」そのものだった・・・。
どう? ねっ? 怖いでしょ?
「真実と向き合う」って、この起爆装置のスイッチを入れるのと同じだと思う。
だって過去の自分は吹き飛んじゃうのだもの。
それでもやるかっていう・・・。
自分ひとりでそれが出来る人はほんとに勇気のある人だと思う。
私にはとてもとてもそんな勇気はないので、
周りに手伝ってくれる人をたくさん置いておきたい。
「吹き飛んじゃったらどうしよう〜」
「そうですね〜シートベルトつけますか」ってね。
そうそう最初の疑問
何をきっかけに「向き合っていない」自分に気づくのか。
変わりたい想いが強いとき?
それは「起爆装置のボタン」に指がかかった証かも・・・。
たまたま聴いていたCDで
「普段意識している自分とは反対の自分をあえて演じる事で
問題解決の力がつく。」というのがあった。
反対の自分をイメージの中でつくるのは難しいので
2年前にやったCUBICという性格診断の結果から考えるとこんな感じ。
そのときの私の診断結果は
「責任感、自主性、達成意識、客観性が高く指導力あり。
ただし協調性、共感性、親和性低く、社交意識も低い。
極めて内勤指向で、全くの非組織人間。」
これを反対にすると
「責任感も達成意識もあまりないが、
人と仲良くまとまってやっていくのは得意。
行動的でパワフル、組織の中で力を発揮するタイプ」
という事になる。
「組織の中で人と仲良く行動的に」やっていく事は出来ると思う。一時的なら。
お勤めだってしていたんだから・・・。
でも「責任感も達成意識も」捨てちゃうのはちょっとさみしいかな〜?
いずれにしても、演じるまで行く前に『反対の自分』を想定してみて意外だった。
もっと認める事ができない存在かと思ったのに、そうでもなかったから。
それよりなにより「反対の自分」が主役の時期だって今までにはあったはず。
これってどういうことかなあ?
どちらも思い込みの産物ということ?
あと2年位してもう一度性格診断やったら、
「責任感も達成意識もあまりないが、
人と仲良くまとまってやっていくのは得意。
行動的でパワフル、組織の中で力を発揮するタイプ」になってるかも・・・。
英会話のレッスンが「What’s new?」で始まるが、
それに答えられたためしがない。
デンマークにはじめて行く前から始めたレッスンだから、
もう10年以上毎週同じ質問をされ、
毎週同じように答えられない・・・。
わすれちゃうのだ。
どんなに大事なイベントがあっても、
大変な出来事があっても、うれしい事があっても、
一日でも過ぎてしまうと気持ちが次へ行ってしまう。
正確には「心の準備が整ってしまうと」、
興味の対象が次のことへ移ってしまう。
だから先週のことなんて聞かれて答えられるはずがない。
今日もやっぱり答えられなかった。
先生は心配しているだろうな。
「大丈夫か?毎回ヒロミは・・・」って。
それともあきらめたか・・・。
500回ちかく「What’s new?」が空振りに終わったものね!
卒業、入学のシーズンもこれからだというのに、
母の日アレンジのチラシがコンビニなどでも
目立ち始めた。
お知らせするほうとしては当たり前なのだけど、
早め早めに、というのは。
季節商品を提供する私達ももちろんその感覚で動いている。
けれど最近の私個人としては、その季節、その時期を自覚して
じっくり楽しみたいような気もしている。
「早めに意識して、実際その瞬間が来たら忘れてる」、というのより
シンプルに暮らせそうな気がします。
それがささやかなぜいたくというか・・・。
「桜の季節にお花見に行く」なんていうのとも違う。
情報に振り回されて動くんじゃなくて、
自分の五感に頼りたい。「ああ、桜咲いたんだ」って。
と、言いながらも、これからも情報は早め早めにお伝えしますけどね、
もちろん。
石ノ森章太郎の「サイボーグ009」の何巻かに
「北欧神話」の「エッダ」を舞台にしたお話がある。
宇宙樹トネリコや荒ぶる神々の創造神話にワクワクしたのは、
高校生のとき・・・。
日本文学というきわめて一般的な分野に進み
「記紀に見る・・・」つまり「日本神話」について勉強した。
(らしかった。よく覚えていないが)
「まあいっか、日本の神話でも」くらいのつもりで。
でもちょっと不完全燃焼・・・。
それから幾年月。
気が付けば北欧はとっても身近な国になっていた。
花材の問屋さんを紹介してもらって以来
お付き合いのあるデンマーク人の友人は、
「息子の名前はトール。神話の神さまの名前なの」と。
トールは北欧神話の中の最強の神さま。
なるほど、30年掛けてどうしても一周したかったのね。
父と母は日本全国制覇に燃えている。
何の制覇というと、つまりは旅行で
全ての県を余すところなくまわると言うもの。
正確には、そんなおかしなスタイルの旅に燃えているのは父のほうで、
母はゆっくりと気に入ったところだけを何回も訪れたいらしい。
(それはそうでしょ、お父さん!)
あと2つか3つの県を回れば全国制覇らしい。
おめでとう!
計画を立てるのはもちろん父。
宿も行程もアナログで地道に時刻表と地図で調べて
まずはこの時間から至福の時が始まるらしい。
ネットで路線チェックなんてとんでもない。
NHKの大河ドラマの舞台もしっかり旅程にいれて
楽しそう・・・。
すごいのはテレビの番組やニュースで地方が出たとき、
どこが出ても「ここの近くの○○に行ったときには・・・」と
リアルな話になること。
体験するって迫力なのよね〜。
何かの試験に向けて勉強することってないな〜。
急にそんなこと思いました。
だって子供達を見ていると試験と言うものが
ひとつの区切りになっているなあって・・・。
別に勉強一生懸命やっているわけじゃないけど、
すごくわかりやすい区切りだと思う。
大人になってから、特に仕事を始めてからは
試験の問題も、解答も自分で考えるような毎日で・・・。
わかりやすい区切りを望んでいるのかなあ。
いきなり方眼の升目を自分の上にかぶせたくなるときがあるけど、
これも『自由からの逃走』だったりして・・・。
月2回発行のメールマガジンに
何か新しい企画を入れたいなあと思い
図書館に行った。
いつも同じようなこと考えているので
たまには全然違う世界ものぞいたほうがいいかと思って。
それには図書館・・・ビジュアルで一気に色々見れるから。
ちょっと説得力の無い理由だけど。
そこで面白いもの見つけた。
「有限会社の作り方」という本。
一冊じゃなくて何冊も・・・。
有限会社って、確か18年の新会社法施行のあとは設立できないんじゃ?
たまたま自分のところが有限会社なので、
そのときの事が記憶にあって思い出した。
なんで置いてあるのかな?
で、自分の理解を超えるものについては、
それと同じ事が起こっていても全くわからないことに気が付いた。
情報の鮮度と発せられた時期と今とのギャップ、
どのような立場でどのような人たちに向け、
どんな効果を期待して・・・。
それを自身のフィルターにかけて判断するのは
もう絶対に無理。
信頼の置ける何人かの人たちにフィルターをかけてもらって。
でもその信頼って・・・ここまで来るとまた堂々巡りだ!
やっぱり自分に必要な情報については、
ある程度自分自身が学習してお利巧にならないとダメってことかなぁ。
頭いたい。
メルマガの新企画?
今日はパスです。次回にがんばります。
力の入らない一日。
周りで起こっていることが何だか変・・・。
朝から友人が伝えてきた内容も、
聞いていてとっても気色が悪いし、
彼女がそれに関われば運気が下がるだろうな。
まあ何事も選択するのは本人ですから、リスクを負うのも本人ですが。
次に彼女にあったら正直にそう感じた事をつたえよっと。
身の回りで起こることは自己の内部の投影だって
誰に言われたのだっけ?
心理学の先生かな、社会の先生かな?
その自己って誰?
当事者にとってと言う事?
私ももう少し敏感なら、話している途中で気が付きそうなものだけど
いつもイライラはちょっと遅れてやってくる。
で、そのイライラは何に起因しているかというと
リスクに対して無邪気に、無頓着に、無防備に考え無しに突っ込んでいく姿・・・。
それを見ると条件反射的に嫌悪感を感じる。
ところが人の状況に対してはそうなのだけど、
これが自分の事になると、あまり自信が無い。見えているのかいないのか。
だから私のリスクに対して私以上にイライラしてくれる人たちが
周りにたくさんいてくれるのが理想です。
火災報知器みたいに・・・できるのか、そんなこと?
長女が硯と筆を出してバタバタしている。
高校の1年生用のパンフレットに筆字で書く文字を頼まれたのだとか。
習字は小学校1年から習いはじめていつの間にか10年。
「お稽古に行きたくない!」と駄々をこねていた時期もあったが、
今となっては高校のクラブも書道だから、もう生活の一部みたいだ。
「何かお手本がないと書きにくい」とぶつぶつ言うので
ネットで検索してみたけど該当するのが無い。
ワードで入力して行書に変換して拡大してプリント。
即席のお手本を作ってトライしている。
筆字が書けない身としては、
そんなお手本でそこそこの字を書いているのが不思議。
これを見て、
「道」って、精進以前に積み上げてきた年数だなあと実感・・・。
普段自覚している部分が顕在意識で
無意識にあたる部分が潜在意識。
この二つの関係ってほんとにややこしいというか
天邪鬼というか・・・。
まったく正反対の事考えているんじゃないかとさえ思えてくる。
ずっと以前から自覚していた自分の性格的な特長なんかが
実は潜在意識の中での反対方向への強い傾きを
修正するために作られているのでは?なんて思ったりもする。
抽象的で意味わからん・・・ですよね。
すみません、私もうまく説明できません。
イメージで言ったら、水の中に長い棒を入れて右に傾けると
水面から上の、つまり顕在意識の自分には右に傾いていると感じられるけど
水面下である潜在意識では正反対の左に傾いている・・・みたいな感じかな?
傾きが大きいほど水面下と水面上のギャップは大きくなる。
誰かが言葉の上で何かを「強く否定」したとすると、
ほんとはそれと同じだけ強い肯定を心の中に持っているのでは?
なんて感じるのも同じ理由。
以前はどうしてそう感じるのかわからなかったけれど、
最近自分の中にもそう言ったずれがあることが理解できてきた。
2つの意識の間にギャップの無い状態って
棒がまっすぐ立っているときだけ。
でも普通に生きてて仕事して生活して・・・
そんな時ってあるのかな? 無いだろうなぁ。
人って複雑なのだわ・・・。
ベストセラー『夢をかなえる〜』の提案をまだ忠実に守っている友人が
妙な事で悩んでいる。
自分に対して要求ばかりしてくる相手がいて、
今回もまた無理な要求をしてきたので断りたい。
けれど『夢を〜』を実践している自分には
無償の行為をしなければならないという思いもある。
この矛盾をどうしよう・・・と。
私が聞いても理不尽な要求だと思ったので、
「いやなら丁ねいにお断りすればいいんじゃない?」と言った。
でもまだ彼女は悩んでいる。
人づきあいが極めてシンプルな私には
あまり想定できないシチュエーションだ。
「無償の行為」は美しい言葉だけれど、
「しなければならない」とセットになると、いきなり暴力的になる。
「〜しなければならない」を「〜するにこしたことはない」と
読み替える事をすすめてくださった心理学の先生がいらしたが、
すると不思議。
やってもやらなくてもいいんだ〜って感じで気分に余裕がでる。
それより何より、コミュニケーションには相手がいる。
相手の状況を見ないでそうする事は、
臆病な私にはなんだか危なく感じるんだけど、大丈夫かな?
いきなりトカゲの話です。
イモリは両生類。
ヤモリは爬虫類。
子供の図鑑を見て知りました。
我が家の壁に時々現れたりしていたのはヤモリ
蚊や蛾を捕らえて家を守る「家守(やもり)」だったわけね。
ちなみにイモリは水の中でも生息できて、
井戸の中の害虫を捉えることから「井守(いもり)」。
イモリはおなかが赤くて、フグと同じ毒をもっているのだそう。
どうでもいいと言われれば、たしかに・・・
でもちょっとすっきりしたぞ!
ホノルルマラソンに毎年出場している知り合いが
昨年自己ベストを更新した。
毎年ペース配分をして練習して・・・と、
その手の努力から最も遠い位置にいる私には、
出来る準備をしっかりして参加しているように感じたが、
なかなか最近は思わしい結果が得られなかったらしい。
ところがいきなり昨年の自己ベストの更新。
「いつもと何が違ったのか」聞くと、
シューズが違ったのだそうだ。
「坂本さん、そんなことって思うでしょ?
今までだってそれなりのマラソン用のシューズだったんですよ。
でもね、全然違うんです。オリジナルにあわせてもらったシューズは・・・。」
彼が言うには、今までの課題は最後に来て足が痛くなってしまう事だったそう。
足さえ痛くならなければ、ゆっくりでも何でも走る事が出来る。
その課題が、自分の足にあわせたシューズを作ることで
簡単に解決してしまった。
「ふ〜ん、道具ってそんなに大事なんだ・・・」と
のんきに言ってる私に更なる興味深い話。
既成のシューズに合わせることに慣れてしまった足には、
最初オリジナルのシューズが痛くて走れなかったのだそう。
2〜3日走り続ける事でようやくフィットし、
その後はもう元には戻れないのだとか。
人のからだって器用なのね、道具や器に自分を合わせちゃうんだ。
彼のその話をl聞いて、
大丈夫かな、私は・・・なんてちょっと心配になったりして。
いえ、マラソンじゃなく・・・・・・
友人からタマリンドの実をもらう
外観はお豆
10数センチのさやの中に、干し柿みたいなペースト状の果肉が入っている。
果肉の中には1.5センチほどの実も。
生のままで数ヶ月はもつらしい。
甘酸っぱくてお料理の酸味付けにも使われるそう。
職業病か、干したらどうなる?・・・のか気になるところ。
実が茶色でつややかできれい。
調べたら「チョウセンモダマ」という別名がある。
モダマの仲間なのね!だったらイメージできるかも。
「モダマ」は世界最大のお豆でサイズが10センチほどにもなり、
さやの長さは1メートル以上にもなることも。
作品展など大作制作の場面ではおなじみの素材。
あまりに大きいお豆なので、
こちらは単なる好奇心で、水に戻したらどうなるのか・・・知りたい。
理科の先生にも、カラコレスのレッスンはお勧めです!
「歴史が変わるのは突然ではなくて
斜めに切った断層のように少しずつ少しずつ
その兆候が出てきて、ある時気が付くと変わっているというもの」
昔、高校の先生が言っていた。
人の歴史もそうかな。
突然起こったような出来事も
思い返せば何年も何年も下準備を積み重ねて
ゆっくりと起こるものなのかもしれない。
それを実感するような出来事が自分にもあって、
うれしかったものですから・・・。
さて、お仕事しましょうね!
初夢は見なかった。
ところが年明け、頻繁に目の前に出てくるイメージ映像がある。
自分が「鷹」になって空の高いところを丸く飛んでいる。
眼下にはのどかな里山とまばらな民家。
鷹である私の目には地上の獲物のいる場所が
そこだけ虫めがねで拡大したようにすごくよく見える。
「わ〜い、ごちそう見ぃつけたっ!」と思ったかどうか、忘れたが・・・
これってどういう意味かなあ?
ずっとダイエットと騒いでいたから、
ついに今年は痩せて身軽になるって意味か・・・。
イメージ映像は今までもことあるごとに現れていて
結構、仕事や人生の転換期を示唆する大事なメッセージだった。
・・・まあそれも過ぎてみてわかる事なので、
今どうこうする事はできないのだが。
自己防衛本能の強いわたしは
いつも「何か」に巻き込まれないように、
注意しているようなところがある。
「何か」はその時々で違うのだが
ある程度の距離を保って近づき過ぎないようにするのは
大事な防衛策。
それが良い結果を招くときもあるし、
良くない結果を招くときもあるし・・・。
サブマネージャーの樋口先生の字は丁ねいできれい。
子供のころお習字の教室に通っていたそうだが、
始めたきっかけが普通と違う。
将来デパートの店員さんになりたかった彼女は、
ある日お母さんと一緒にデパートへ贈答品のお買い物に出かけた。
店員さんがのし紙の表書きを他の場所に頼みに行っている間、
ずっと待たされて、そのとき思ったのだそう。
自分で書ければ、お客様をお待たせする事も無くて早く済むじゃない。
デパートにお勤めするならお習字が出来たほうがいい。
その事をお母さんに告げると、
「その気持ちがあるなら、今から習いなさい」といわれ
教室に通い始めたのだとか。
なんか、いいな〜と思って。
そういう行動の起こし方、好きです、私は。
誰も真似できない在庫管理の手腕は、
彼女のこういった発想と性格からきているんだなあと、
その話を聞いたとき改めて思いました。
最近の長野の冬はいつになく青空が見えて気分が良いが、
それでも実家のある佐久市にはかなわない。
佐久市は晴天率日本一。
年間日照時間が2千時間ちかくある、日本で一番お日様が見られる場所。
小さなころの思い出は、晴れた風景の中にある。
子供が描く絵のように、いつもお日様がセットだ。
その地域の平均寿命もなぜか日本でトップクラス。
太陽の下、小さなことにくよくよしないラテン系気質?
まさしく佐久生まれの父も母も・・・。
で、自分がそうかと言えば、転勤を繰り返しているので
あまり関係ないかもしれないが・・・
ましてや晴天を見て気分が良いと思えるかどうかは
体調の良さを計るバロメーターのようなものだ。
体調を崩している時は窓の外の晴天を見ると気が滅入って
カーテンを引きたくなる。
「晴天で気分が良い」かどうかは、
天気以上に大事なチェック項目なのだ。
青空で喜んでいる今はきっと絶好調ね!
昨年の暮れ、実家に帰ると玄関が何だか変。何かに圧倒されてる。
見ると屋根からおろした家紋入りの装飾瓦が5、6個並んでいて
妙な迫力を放っている。
秋に屋根瓦を葺き替えた際、
職人さんが家紋の入ったものだけを、もったいないからと処分せずに
残してくれたのだそう。
屋根の上で見るとバランスよく収まっていたものが
間近で見ると意外にも大きくて驚く。
この感覚、ディスプレイを壁からおろしたときに感じるのと一緒。
風雪に耐えて黒光りした瓦からは、
昔の職人さんの心意気が伝わってくるみたい。
いくらドライフラワーやプリザーブドが長持ちするといっても
世代を超えて伝える事なんて出来ないものね。
「私の心意気」は「今」消化するのがふさわしいなあなんて、
それを見て思いました。
そんなのあるのね。
今まで毎年「大吉」ばかりだったから、存在を知りませんでした。
善光寺さんへの初詣、参拝客が多くて境内は一方通行。
毎年三が日を過ぎてから初詣に出かけるのんびり組みの我が家だが、
こんなに混雑しているのは久しぶり。
暮れのレッスンで生徒さんに
「凶は箱から芽が出るところ。これからよくなる」と教えてもらって
そうと知ればおみくじも怖いものなし。
「冬枯れをいたむもしばし 春来れば よろこびの色 野に山にみつ」
今の私の気分と一緒で、なかなか良いのではないのでしょうか?
とはいえ楽天家のわたくし、何が出てもOKです。
さあ、2009年のお仕事が始まります。
今年も生徒さんのため、スタッフのため、私自身のためにがんばりますわよっ!!
新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
1月1日はうれしい!
まだ一日も無駄にしていない。
可能性しかない状態です。
大きな目標は立てないでおこうと思います。
何にしても、今大変な思いをしながらやっていることを
「続ける」こと。
それが今年の目標かな?
皆様にとっても幸多き1年となりますように・・・。
目の前にあるものが、ずっとそのまま変わらずにあるわけではない。
いつも同じ状況であるわけではないと、
学んだ1年・・・。
だからこそ、
今手の中にあるもの、かけがえのない人たちとおくる時間、
積み上げてきたもの・・・大切にしたい。
私の中のキーワードは「それは本当に必要かどうか」
周りがどんなにスピードを上げても下げても
私たちカラコレス(かたつむり達)の歩むはやさが
変わることはないように思います。
一歩一歩・・・
ゆっくりでも大丈夫。
一歩は一歩、競争じゃないから・・・
2008年、今年も一年間、私たちにお付き合いくださり、
ありがとうございました。
来年も何卒よろしくお願い申し上げます。
セカンドライフというバーチャル空間で
まじめな内容のセミナー参加者を募集する抽選があった。
セカンドライフは昨年少し遊んでみて
その後1年間放りっぱなしになっていたのだが
試しに応募してみたら当選した! うれしい!
(これで来年の運をかなり使い尽くしたはず)
でも困ったわ、着ていく服がない。(シンデレラみたい・・・)
私のアバターはずっとちいさな白くまで、
服はそれしか持っていないのだ。
おしゃれしてこうっと思っても、
よくありがちな「きれいな大人の女の人」になる気になれない。
結局赤ずきんちゃんみたいな小さな女の子になって参加。
どんなアバターを作るかは、心理学的に見ると結構その人の内面とか
あらわしているんじゃないか・・・なんて。
自分のことをあまり分析するのやめよっと。
まだうまく操作が出来なくて、
建物をつきぬいたり、壁に激突したり、海に沈没したりしながら
何とか会場へ・・・・はぁ、到着するまでにかなりのエネルギーを使う。
参加者の皆さん、それぞれ趣向を凝らした装いで、
動物あり、ファッショナブルなお洋服あり、
アニメのキャラクターありで楽しい。
セミナーは、ヘッドホンからの主催者の方の講演を
聞いて進んでいく内容だが、
もう少しジェスチャーが身についていればもっと盛り上がるのかも・・・。
「拍手する」とか「メモをとる」とか「大うけ」?とか
「あくびする(おっと失礼か)」みたいなジェスチャーを
主催者がパッケージにして参加者に配る・・・なんて出来ないのかなあ?
と、無責任なこと思う。
とにかく、非日常の空間できわめて現実的な話を聞くのは
なかなか面白い体験だった。
友人の編集者やライターさんとランチ。
仕事柄、彼女たちは「言葉」の扱いにとても敏感だ。
タイ語と英語も自由に扱い、通訳もこなすライターさんが
「自動翻訳機は同じ音読みでたくさんの言葉のある日本語には
適さないのでは?」と言っていて、確かにそんな風に考えたことなかった。
彼女たちが言うには「日本語の漢字」は視覚的な言語で
漢字そのものが意味を持っているので、見ただけである程度理解できる。
「日本語」は音についてはひらがなで、意味については漢字で表す優れた言語なのだそうだ。
また自国語だけで生活できるのは恵まれている証拠で、
発展途上国では英語を使わざるを得ないとも。
これは発展途上国でなくとも、デンマークのような小さな国でも同様で
周りを複数の国に囲まれていればコミュニケーションの手段として
自国語のほかに英語ははずせない。
私の社会の先生が「税金は日本語使用料と心得なさい。
日本語だけを話し、日本語で情報を得、
日本語で仕事が出来る恵まれた環境に対して払うお金である。」と
おっしゃるが、周りの国々の状況を見れば納得です。
せっかくビジュアルから入れる言語を駆使しているのだから
速読だってしなければもったいない・・・と反省。
普段表に出ない私には刺激過多のランチ2時間。
紙をこよなく愛す、編集者の友人の「紙おたく」ぶりについては、
また別の機会にご紹介ということで・・・。
私がブログを毎日休みなくやっていることや
メルマガやニュースレターを途絶えることなく
発行しているのを知っている店長さんが
「俺には出来ないなあ、俺一攫千金?タイプだからさあ」って。
私も彼には似合わないと思います。
お店をこうしたい、ああしたいといつも遠い将来まで描いて
それに向かって突き進んでいるような人ですから、
ほしいものがたくさん!
それが彼のエネルギー源です。
カットの合間にも接客のことスタッフとのコミュニケーションなど
今までもたくさん勉強させてもらいました。
もしその店長さんがいきなり地味なことをこつこつ始めたら
周りが驚いちゃうかも。
同時に、私がいきなり遠くの大きい夢を彼のように語りだしたら、
やっぱりスタッフに、熱はかられちゃうでしょう・・・。
「お互い自分にあったやり方しか出来ないよね」というところに
二人の話が落ち着きました。
彼は彼のやり方で、私は私のやり方で、
この先も一歩ずつ進んでいくしかないようです。
・・・という久しぶりの休日。
生徒さんにご挨拶も出し終わり、ほんの一息。
まだまだ年末に向けてやることが山積みだけれど、
なんだか今日はやる気にならない。
年内に本を一冊書き上げる、という
差し迫った目標のある友人がブログを書いていて
その臨場感あふれる、緊迫感のある内容を読みながら
「がんばれ〜」とエールを送る。
さあ、気持ちを切り替えて今週末に向けてもう一仕事。
(といっても、その今週末は今年末でもありますので
それなりのつもりで・・・)
レッスンにいらしていた生徒さんに
「作品展の作品集とコメントをホームページにアップしたので見てくださいね」と
ご案内。
するとその中のお一人が
「昨日ホームページの作品展作品集見たけど、
最新が2008年だったから、まだアップされてないのねと思って・・・」
「え〜○○さん、2008年って今年ですよ! それ今年の作品集です」
「あっ、ほんとだ!!」
なんとその方の中ではもう来年に行っちゃってたんですね。
でもわからないでもありません。
年賀状だのカレンダーだの周りの気分はもうすっかり2009年・・・。
来年になってうっかり2008年とか平成20年とか書いちゃう間違いより
ずっと先取りで前向きかと。
小学校4年の長男はクリスマスまでの日数を指折り数えていますが、
私は年内の営業日数を指折り数えて・・・
しかもどちらも残すところほとんど同じ日数。
なんだかほんとにあせってきた!
仕事の合間に中澤先生や久保先生と、
手相の見せあいっこする。
苦労人(あくまでも自己申告!外見ではそう見えない)の中澤先生の手は
細かいしわがたくさん。
久保先生の手は意外とシンプル。
「久保さんって細やかそうだけど、これ見ると結構鈍感なんだねえ」と
中澤先生に言わしめる。
「そうですかね〜」本人やっぱり感じてない。
私の手相見て、中澤先生「なにこれっ?」
ほとんど主要な3線しかない。
「すっごい鈍感!」
生命線は小学校のとき短いのがイヤで、毎日定規で筋をつけていたら
今では手首を通り過ぎて手の甲まで伸びている。
頭脳線が際立って短い。
手のひらの真ん中くらいまでしかない。
こっちも伸ばしとけばよかった・・・。
以上スタッフの癒しのひと時
「先生、おみくじで凶を引くとみんながっかりするでしょ、
でもね、凶という字をよく見ると、
箱の中にメ(芽)が入っているんですよ。
だから今はダメでもこれから芽がでるということなんですって」
こんな素敵なことを教えてくれたのは
上田教室の研究コースの生徒さん。
ほんとにその通りだなあと思いました。
何事もなく毎日平穏に過ぎていけばいいけれど、
そんなにうまくはいくはずもなく、必ず何か起こる。
その起こった「何か」は良いことか悪いことかのどちらかに決まっているわけ。
「良いこと」が起こったときには気を緩めず
「悪いこと」が起こっても動揺せずにいれば必ず穏やかな日々を過ごせる・・・。
これでおみくじ引くのも怖くない?
かく言う私はここ4〜5年、大吉しか引いたことがなかったけれど、
あれは気を緩めるなという神様の思し召しかと今日思い至りました。
「実は私もここのところ気が滅入ることが多かったんです。
でも今日はこんなに素敵な作品が出来て、ちょっと元気になれました。」と
その生徒さん。
その言葉で一番元気になれたのは私です、
こちらこそ、ありがとうございます・・・
残り1枚のカレンダーの3分の1が過ぎる・・・。
考えてみればその先も「来年」という毎日が続くのに、
残りの20日で色々区切りをつけようとしている自分がいる。
多分私だけじゃないと思う。
年末とか新年とかそんな言葉は、ここで何とか区切りをつけて
過ぎたことは忘れて真っ白な状態で新しい年を迎えたいという気持ち。
毎日そんなつもりで過ごしたらどれだけ日々新鮮に過ごせることか。
それが出来ないから無理やり始まる新年があるんだろうな・・・。
どこでもいいから「ここが区切り」って決めちゃえば、
その前も後ろも充実したものになる?
まったく毎日雑事に流されて停滞している感じ。
かといって雑事が要らないことかといえばそんなこと全然なくて
毎日を健全に進めていくにはどれもこれも必要な「愛すべき雑事」。
明日は久しぶりに上田教室で研究コース生のレッスン。
生徒さんもみな、忙しい中「日常の雑多なこと」と折り合いをつけて、
レッスンに来てくださる。
その大事な時間をお預かりして、楽しかったり癒しになったり独創的だったりと、
何か意味のあるものになるお手伝いが出来ればうれしい・・・。
お勉強会でお世話になった方々とお酒を飲む機会があった。
ほとんど飲めない私は「ノンアルコール」で、
緒先輩方のお話を伺うだけの静かな参加だが。
単身赴任中の夫に電話で話すと
「最近お酒を飲む機会が多いね」といわれる。
この前のお酒の席が11月の同級会。
その前が6月のお勉強会のあと。
そしてその前が昨年末のスタッフとの忘年会。
これはお酒の席が多い方にはのけぞるような頻度かも。
家で仕事をしていて外界?との交流があまりなく、
なおかつ飲めない私にとっては当たり前のペース。
だから月1回の頻度のお酒の席は、
夫に「機会が多いね」と驚かれることになる。
今月はスタッフとの忘年会があと1回。
人並みにお酒の席が多い12月です。
札幌の人はいいな!
円山動物園にコモドドラゴンのペアが来ている。
日本とインドネシアの国交樹立50周年を記念してやってきたのだとか。
大きいものでは体長3メートルを超える地球上で最大のトカゲ。
恐竜のちっちゃいのみたいだ。
先日スタッフ達に「コモドドラゴン見に行くツアーっていいじゃない?」と聞いたら
みんな「・・・」だった。なぜ?
そういえば長野で色々な面白い取り組みをしている茶臼山動物園の獣医さんが、
先日地元のタブロイド版の情報誌の記事で、
「ここもコモドドラゴンがこれる位の動物園にしたい!」と書いておられた。
がんばってください!
「私にはこうなりたいっていう夢がないことがわかった。」
友人がしみじみ?口にした。
「『夢をかなえるゾウ』と言う本を読んで、
そのあと小栗旬の演じる同じドラマを見たらはまっちゃったの。
そこで言われてること1ヶ月やってるの。
たとえばトイレを毎日きれいに掃除する、とか
人の成功を助けるとか・・・」
「夢をかなえるゾウ」はベストセラーでざっと読んだ。
テレビはほとんど見ないし、
今見てるドラマが唯一「ブラッディ・マンデイ」の私には
そのドラマのことはわからないが、彼女はとにかく感化されたのだ。
「でね、1ヶ月続けても何も起こらないの。
そのうちに、私にはこうなりたいっていう夢がないことに気が付いたの。
だから何も変わらないんだって。
私何のためにこんなことしてるんだろうって・・・」
「もう夢がかなっているんじゃないの?」と私。
私から見た彼女はきちんと自分の枠を意識して持っていて
仕事もその枠からはみ出さないようにコントロールしているし、
多趣味の一つひとつもプロ顔負け、家事も育児もそつなくこなす有能な女性。
「ていねいに暮らす」を体現するとしたら、彼女のようになるのではないかと
日ごろ思っている。バランスの悪い私とは雲泥の差なのだ。
だから、彼女が「夢を〜」に感化されて動いたことが意外だった。
「こうなりたいという夢はなくても、
こうありたいという状況はかなっているのかもね。
それに気づくのに1ヶ月も掛かったんだ、私」と彼女。
「夢」って「幸せの青い鳥」のようなイメージかな。
「今」の延長にあるような気がする。
「今」の自分にかけらもないことを「夢」に持ってくるのは
虫が良すぎるようで気が引ける。
さてでは「あなたの夢は?」と問われたら・・・
やっぱり「今の継続」って答えるんじゃないかな。
がんばってお客様に高い付加価値を提供して、小さいながらも雇用も創出して、
次への挑戦をちょこっとずつして・・・この循環を継続すること。
「こうなりたい」ではなくて「こうあり続けたい」と望むのは、
私もその友人と一緒みたい。
「まったく年々忙しくなるわ。
昔のお年寄りなんて、もう私の年には
すっかりおばあちゃんを決め込んでいたのに、どうなってるの?」
そういって飛び回っているのは母。
70才になってもなお元気で、実家と長野のこの家とをひんぱんに行き来し、
自分のカルチャーや、家のこと、私が留守にするときの孫の面倒から何から・・・
すごい勢いでこなしている。
父も然り。
両親のパワフルさの前には私の影などないにも等しい。
確かに母の言うとおり。
小さいころよく祖母に手を引かれ、
近所の文房具屋さんにクレヨンや花火を買ってもらいに出かけたが、
あのときの祖母の年齢は、今の私でさえたいして違わないのだ。
今の私たちの忙しさは可能性がたくさんになったから?
これだけ何でも出来る時代に生まれて、
持っている可能性に挑戦しなかったら、なんだか悪いような気がするもの。
先人なんて大げさなこと言う前に、祖父や祖母にね・・・。
とにかく人の顔をおぼえるのが苦手。
学校のPTAでも、よそのお母さんに
「○年のとき同じクラスでしたよね」などと言われるが
さっぱり覚えていない。
作品展の時にはこれが困ったことになる。
長野県内にいくつかある出先教室には
専任の講師の先生が出向いて教えているので、
私が直接指導をすることはほとんどない。
新しく入った生徒さんと顔をあわせてもわからないことがあるのだ。
作品の前で熱心に見ている方に
「ご興味おありでしたら、体験も出来ますよ」と言うと
「坂本先生ですね。こんにちは。この作品私が作りました。」などといわれ
「きゃー、ごめんなさい!」(赤面)
でも「あなたが○澤○世さん?はじめまして」と
名前のほうはしっかりフルネームで覚えているので意外な顔をされる。
スクールのニュースレターの発送の確認や、
毎年必ず生徒さん全員に手書きで送るクリスマスカード(あっ今年もそろそろだわ!)
のおかげで、名前のほうは完璧に覚えているのだ。
顔と名前が一致してないだけで。
今年は幸いにもわからない生徒さんは居なかったわ、と思った矢先・・・。
「坂本さん、こんにちは」
作品展会場のデパートで商品を見ていた私に、一人の制服姿の店員さんが声を掛けてきた。
ニコニコしている。(私はこの人をよく知っているような気がする)
どこでお会いした生徒さん、それともPTAのお母さん?
めまぐるしく記憶が飛び交うけれど思い出せない。
「私ですよ、○○です。変装してたからわからなかったでしょ」
うわ〜、そっちでしたか! 一軒おいたお隣の奥様。
それにしてもゴミ出しや公園の草取りでいつもお会いしてるのに。
まったく私の記憶力って全然機能してないことが判明した・・・
いつも撮影をお願いしているカメラマンさんのスタジオにおじゃまする。
撮影の小道具が積みあがっているスタジオが、今日はなんだかすっきり。
「模様替えですか?」
「いや〜、坂本さんが倉庫のいらないものビシバシ捨てたって話に
触発されちゃってね。もう何年も使ってないものを捨て始めてるの。」
この間おじゃましたときより、心なしか元気に見える。
不思議だけれど、「捨てる」ことは「増やす」ことにくらべて
健康的なのだと思う。
「捨てる」ことで得るのは「新たな可能性」じゃないかと思う。
同様に「固執」して失うものも「可能性」だと思う。
私に周期的に訪れる「捨てたい病」は、最初、形のある「モノ」から始まって、
やがて「人との付き合い」や「古くなって硬直した仕組み」などなど、
形のないものへと移っていく。
体力や集中力といった「若さ」を測るバロメーターは色々あるけれど、
私にとって「捨てる」ことが出来なくなった時は、
可能性を自ずから放棄したとき、「もう若くない時」だと思っている。
でもこれって実年齢と関係ないもん!
90歳の好奇心満々のおばあちゃんがいたっていいじゃない?
「あっ変わってる・・・」
今日、半年前とは変わっている自分に気づいた。
ここ1年ほど自分の課題として、
意識して取り組んできていたことがあった。
その進展を判断する基準もなくて、
「まあ変わればなにより。変わらなくても仕方がないか」くらいの気持ちだった。
2日前のブログで「自分を変えようと思っても無理」と書いたが、
それは本質的な部分のこと。
もうひとつ外側の世界で改革を試みて(大げさな!)いたわけです。
今日、半年前のある日と同じシチュエーションに身を置いてみて、
自分の感じ方がかなりかわっているのに気が付いた。
と同時に、身の回りで起こっていることが、
新たな展開を迎えていることもわかった。
不確かな自分に周りが影響されているのがとても不思議ではあるけれど、
誰にとっても、「自分と周りの関係」はそういうことなのかも・・・。
自己の投影?
何年ぶりかの中学の同級会。
恩師をはじめ20名近くが集まった。
47才の大人たちが最初は近況報告などしているが、
いつの間にか14.15才の子供時代に戻ってしまうのが
同級会の不思議なところ。
私も含めてだが、キャラクターは子供のころと変わらないのね。
一応世間の荒波?にもまれて処世術は身につけているけれど
みんなあのころの性格そのまま。
自分を変えようなんて思うのは無駄だなあと、
周りを見て、自分を見てつくづく思った。
それから一人、亡くなってしまった同級生がいて
それがとっても悲しかった。
植木屋さんのお話は自然相手のお仕事のせいか、
いつも説得力があっておもしろい。
今日は庭の白樺に支柱を立てるついでに、
狭い庭のあちこちを剪定してもらった。
そこで使っている脚立が、片方ははしごでもう片方が支柱1本の計3本足。
なんだか見ていると頼りがいがないが、
植木屋さんに言わせると「普通の4本足の脚立は一番不安定。
地面の凹凸をもろに受けるから。
3本足は安定するんだよ。植木屋はみんな3本足の脚立だよ。
だけどほんとにしっかりしているのは実ははしごなの。」
なるほど、本体の木を支柱にはしごを掛ければ3本足の脚立と同じ効果。
その上自分の体重がかかることで却ってロックされることになるわけね。
ふむふむ。
今月19日にはながの東急で翌日から始まる生徒作品展の搬入がある。
階段部分の壁には3本足の脚立で飾りつけるが、段差にあわせて
少しずつ短く調整した支柱が実に心もとなく、
誰が脚立に乗るかで「なでしこカラコレス」のスタッフはすでにもめてる(?)
「大丈夫、3本足の脚立は安全なのよ! 植木屋さんが言ってたもん。」
最初のミーティングでそう励ましとこう。
じゃあ、先生どうぞって言われたらどうしよう・・・汗
本当のことを伝えて相手を怒らせてしまうことが、たま〜にある。
だけど、仕事の話では真実と思うことを伝えるところから
始まるんじゃないかと、まだ思っている。
人の話を上手に聞くのは難しい。
これこれについて相談していると思って話していても
それは上澄みの問題で、その下にはもっと別の不安が隠れていたりする。
うっかり上澄みの話にアドバイスをもらったりすると
本質的な問題まで届かないまま話がそれていってしまう。
このごろ自分自身の問題では上澄みとその下に2段の構造があることが
だんだんわかってきた。
人とのやり取りを通して
「この部分の不安を顕在化したくて話していたんだ」
というのがわかるようになってきた。
時々だけれど。
ただそれも、人の話を聞いているときにはわからない。
怒らせてしまった相手にも、2段の構造があったのかな・・・
なんて思う。
何にでも先生といわれる人がいて
その人の指導の下に勉強するのが手っ取り早いと思うけど
ふつう先生には点数が付いていないから
自分が何点の先生に指導されているのかわからない。
先生も自分に点数はつけないから
狭い世界の中で「先生と生徒」あるいは「師と弟子?」は
「こんなものかな」という自己満足の関係に
なってしまうのではないかな?
それを打開するには先生も生徒も常に勉強するしかないけど、
もし先生が勉強したり研究したりしてくれないのなら、
仕方がないですね、生徒は先生から離れてしまうのでしょうね。
これは「信じてついていく」とはまた別の次元のお話。
いろいろな場面で、自分が「先生」と「生徒」どちらの役にもなりうると
肝に銘じて・・・。
「土用芽」という言葉を知りました。
土用のころに成長する植物の芽の事だそう。
通常植物の葉は前年から蓄えてきた栄養分を使って
春からゆっくり成長し花芽をつけます。
それに対し「土用芽」は春から伸びた葉の養分を使って
夏に一気に伸びる芽のことを言うのだそうです。
そういえば刈り込んだ庭木にぴょんと一本伸びた芽がありますよね。
この土用芽には花芽が付かないそうです。
これってとっても示唆に富んでいるなあって一人納得。
だって、ほっとするじゃないですか、
順を踏んでゆっくり成長したところに花芽がついて
一気に飛ばして?伸びてきた葉に花芽が付かないなんて。
スローテンポでひとつずつしか進めない自分の弁護に使っちゃお!
土用芽にならないように。普通の芽であり続けるように。
こんな大事なことを教えてくださったのは
今回のイベントの「お父さんのための庭木の剪定講座」講師の造園会社の社長さん。
蓋を開けたら「お父さん」ではなくて「お母さん」に盛況でしたが・・・。
私も自分のレッスンを抜け出しちょこっと拝聴。
楽しくていろいろ勉強になって、次回はもっとゆっくり聞きたいと思いました。
さて北野建設モデルハウス&トステムショールーム主催の
「秋のわくわくまつり」2日目。
昨日に引き続きたくさんの来場者で大盛況でした。
お越しくださった皆様、ありがとうございました。
スタッフの子供が電車大好き。
そのためか彼女も近隣の電車関係のイベントに妙に詳しい。
「明日は長野駅開業120周年のイベントがあるんです!」
うれしそうに話す姿は鉄道ファンそのもの。
「ほんとはあなたが行きたいんじゃないの?」
「ばれました?」
幼稚園の子供のお付き合いのつもりが、
いつの間にかパパママの力強い趣味になったそうで・・・。
そういえば子供が小さいときって、
「仕方ないなあ、子供が行きたいって言うから・・・」ってノリで
結構、年を忘れて純粋に遊べたような気がする。
長女が1歳半の時は夫の仕事で山の中に暮らしていたので、
毎日お弁当持って野山をピクニックしていたっけ。
さすがに子供も大きくなって、「おとり?」になってくれなくなった。
次にこれが出来るのは「孫の代」か・・・
「なに?この渋滞?」
金曜日の昼下がり、いつもは閑散としている近所の大きな通りがすごい混雑。
売り場面積7800�屐�長野県内最大規模の「ヤマダ電機」がオープン。
日々ボーっとしていて広告もまともに見ていないので、
今日がオープンとも知らず、ついうっかり車で大渋滞に突入してしまった。
信越放送が移転した跡地に建てられて駐車場は400台くらい。
ほんとはこんなに人がいたのか、と驚くくらいな賑わい。
もっともオープン初日なので当然か。
人ごみが苦手なのであわてて引き返す。
もう少し経って落ち着いたころ、
ヤマダ電機大好きの夫と歩いて来てみようかな。
食品や雑貨の取り扱いもあるみたいで
周辺のスーパーへの人の出足も気になるところ・・・。
友人がインドへ行くと言う。
「いいなあ、私も行ってみたい」と言うと、「じゃあ行こう!」。
聞けば、来月の話。
いくらなんでもそれはちょっと急過ぎる。
多分その友人も性格から言って急に決めたに違いない。
「今回はあきらめるけど、次回行くとき私の道案内して」とお願いする。
日常の中の自由度から言えば、家で仕事をしている私はかなり自由だ。
家事と平行していろいろな仕事が出来るし、
メールでのやり取りで仕事が進むので、
ここ数年は静かな引きこもりに近い生活とも言える。
小さな自由をキープするために、毎日、毎週、毎月・・・
やらなければならない不自由がいろいろあるが、
このスタイルは結構私のペースに合っていてストレスを感じない。
自分ですると決めた仕事もあるし、出来ないものは人に頼み、
進行を確認すると言う仕事もある。
ただし、イレギュラーなスケジュールに対応するのが大変という弱点も・・・。
今回のようなことが起こると、まだまだ生活のスタイルに
手を入れるところが沢山あるのを思い知る。
それは旅行のような自分主体のことだけでなく、介護や家族への対応、
他から起こってくる何か・・・。
「今たまたま何もない状況」を自覚して、次に手を加えるのはこのあたりかと思う。
出来るか出来ないかは別として・・・。
実際にイレギュラーな事が起きた時、考えている余裕がないだろうことは
周りを見ていてもなんとなくわかるから。
自分ではおよそ理解できない難しい世界があって、
でもその世界が常に日常生活や仕事とかかわりを持ってくるとき。
で、そのかかわりの中で自分でも「正解」と思える判断を
しないといけないとき。
みんなどうやっているんだろう・・・。
その「世界」には医療や法律、財務、・・・
私にとってはパソコンなんかも入ってくるし、保険や・・・
もしかしたら自分の持ち場である領域以外は全部とっても素人。
それを知っている誰かに相談するというのが手っ取り早いけど、
その「知っている誰か」は本当に「知っている」の?
人にだけ頼っていないで、自分の中に何か基準を持つことが出来たらいいなあ、
なんて思う。
パソコンに向かって仕事中振り向きながら、ちょうど後ろを通る高1の長女に
「ねえ、そこにある20年度の決算書取ってくれる?」
長女、手渡しながら「ママ、自分がもうひとりいたらいいと思ってるでしょ?」
「思ってる、どうしてわかるの?」
長女「私も思ってるから、自分がもう一人いればいいなって。
今テスト勉強手が回らないの。」
なるほど、それは二人いたら便利だ!
でもねえ、思うとおりに動いてくれる自分は一人しかいないし、
一日は24時間しかないのよね。
状況は高校生と同じ・・・
やりくりつけるしかないわねえ、
相手は変わらないんだから。
「私よく、買い物をしていると話しかけられるのよね」と友人。
「この間はお惣菜を選んでいると横からおばあさんに
『ねえ、あなた、それ食べたことある?美味しいの?』って聞かれたし、
その前はやっぱりスーパーで知らないおばさんから
『ちょっと、うちの嫁のことなんだけど・・・』って相談されたし、
その前は手芸屋さんで『長座布団を縫いたいんだけど、一緒に布選んで』と言われて
30分も付き合ったし・・・」とどまるところを知らない。
彼女は外を歩いていてもひんぱんに道を尋ねられるそう。
ありえない。
外で知り合い以外に話しかけられることってあまりないし、
ふだん人からあまり相談を持ちかけられない私には
なぜそんなことが起こるのかわからない。
これはひとえに共感性や親和性、協調性の問題なのでしょうか?
見た目が優しそうってのもあるのか・・・なんて一人考え込んでいると、長女が
「ママはあまり役に立ちそうもないからじゃない?」
・・・・・・そっか〜、そうだよね、うん、きっとそうに違いない!
すっきりはしたものの、いずれにしてもちょっとさみしいかも。
レッスンの時に「家の周りでどんな野性小動物に会うか」という話になった。
きっかけは私が「最近カタツムリを全然見ませんよね」と話したことから。
スクールの近所に住んでいる樋口先生も「そういえば見ないですよね」
ところが少し離れたところから通っているKさんは
「見ますよ、山ほど。両手にいっぱいすぐ取れますよ。
アマガエルも道にいっぱい。夜になると自動販売機にたくさん張り付いてます」
なるほど、いなくなったわけじゃないのね。
私のお勧め?は「ヒキガエルの産卵」。
わが家の前の側溝で4月下旬に見られる。
周りはごくふつうの住宅地で側溝もふつうのU字溝なので結構違和感があるが。
この側溝、家の前で直角にまがって電車の線路の下を横切っているため
ここで流れが深くゆっくりになり、そこが産卵場所になる。
体長15センチくらいの大きなカエルが何匹も集まってきて長い長い卵を産む。
上から見ると、まるでゴムホースを何重にも丸めたみたい。
この卵、産んですぐは粒粒がはっきりしていて見るからに両生類の卵。
ところが数時間も経つと茶色や白やさまざまな色に変化して、
まるで水底の玉砂利と見分けがつかなくなるからすごい。
見てると楽しくて時間を忘れそうになる。
産卵を確認した後、毎年ゴールデンウィークに夫の実家へ出かけて
戻ってきてみるともう跡形もなくなっている。
きっとそのあいだにおたまじゃくしになって旅にでてしまったのだ。
いつかゴムホースからおたまじゃくしが生まれる瞬間を見たい!
ここのところ余裕がない。
タイムリミット24時間という、このブログの期限を自分で勝手に決めたので
まだリズムがつかめないみたい。
日々美味しいものを食べに友人と遠くに出かけたり、
○○を観にどこかへ出かけるというエネルギーのない私は
すごく狭い世界で暮らしている。
そのすごく狭い世界を言葉にしているのだから
それでどこまでいけるかという実験みたいなものだと思う。
もし万が一(分母が万もないけど)、ここに毎日来てくださる方がいたら
心からの「ありがとう」を言わせてください。
いまに余裕のある文章がここに載る・・・かもしれません。
余裕といえば、私の名前、「裕美」の裕の字は、「余裕」の裕。
「裕福」の裕でもあるけれど、
名前の持ち主としては「余裕のある美しさ」を採用したいところ。
一生かかってそれを手に入れなさいという、
親からのありがたいメッセージか?
いつもぎりぎりでバタバタしてる娘の性格を
生まれる前から知ってたらしい・・・。
朝からだるくて気管支が痛い。
そうだ大型の台風が来てるんだっけ。
秋の台風が発生して到着する前、どうも今だに喘息っぽい。
来てしまえば平気。
気圧のせいなのでしょうか・・・。
周りにもそんな人が多いみたい。
子供の頃なら寝ている枕の横に本を山積み、なんてこともできたけど
さすがに細かい用事が多くて寝ていることも出来ない。
部屋にこもってひたすらお仕事。
だけどやる気にならない。
でもお仕事。
おかげで少しだけ進みました!
夏も終わり・・・
名古屋から問屋さんが商品を見せに来る。
このガソリンの高いときにご苦労様です。
全国をまわって新素材を紹介していて、
木の実などハードな素材は私のスクールでも良くお世話になっている。
ところで「ねこじゃらし」を知っていますか?
エノコログサという穂が猫のしっぽに似た草。
どこにでもある雑草だと思っていたら、
彼女いわく「なあに、この草?かわいい、素敵!」
名古屋ではあまり見かけないらしい。
本当かな、こんなにどこでも増えて困るのに。
ところ変われば雑草も変わる。
そういえば北陸の海辺で、私の住むあたりでは雑草とは言わない「小判草」が
群生していたのを見たときには感動した。帰化植物だものね。
それは希少性の問題?
いつも見慣れているものを、なかなか別の角度では見れないのよね・・・。
来週にせまった小学校PTA主催の環境整備事業に備えて、
事前の準備があった。
年に1回ある親たちによる校内外の大掃除なので、
役員は必要な掃除用具のチェックや段取りの打ち合わせをする。
300名近い参加予定者に掃除場所のお便りを
封筒に入れてお知らせするのも一苦労。
用意された宛名を貼ったり、折りたたんで案内を入れたり・・・。
単純作業なのだが、単純なだけによけい作業テンポの
早い遅いが目に付く。
私、すご〜く遅いみたい、仕事が・・・。
周りの方たちは皆テキッ、パキッこなしてゆく。
私のところだけ仕事が溜まってしまい、あせるあせる。
で、思い出した。
子供のころもそうだったな〜なんて。
いつもいつも、私はのんびりしていて先生に怒られていたっけ。
どうも大人になっても私のペースは変わっていないらしいが、
自分のペースで仕事できる毎日なので、そんなことさえ忘れていた。
集団生活を離れて久しいことを妙に実感した日だった。
今日は九が二つ重なる日、重陽(ちょうよう)の節句。
奇数は陽で縁起が良い数字、
その最大の九が二つ並ぶから大変おめでたいとか、
おめでたすぎるからちょっと気をつけないといけない日とか
そんなこと聞いた気がする、漢文の先生に。
べつに何の根拠もないけれど、毎年九月九日が来ると
「ああ重陽の節句だなあ」と思い出す。
旧暦なら菊の花が香る時期になるらしい。
かといって私の中で「おめでたい気分」になっているわけでもないのです。
なぜか毎年「ああ九月九日・・・」と思うので、
今年もメモ代わりに書いてみました。
以前パーソナルカラーを見てもらったことがある。
さまざまな色の布を体に当てて、4つの季節に象徴され区分された
自分に似合う色を絞り込むというもの。
私に似合うのは「Winter」に区分けされた一群の色。
ブルーをベースにした色の中でも特に濃い色。
それから白・黒・真紅・濃い青・くすんでいない黄色。
一方似合わないのはイエローベースの柔らかな色がそろっている「Spring」と「Autumn」。
茶色、オレンジ、オフホワイト・・・あたりはまったくダメ。
特にオレンジの布を首から下に当てて鏡を見たときには、
あまりの似合わなさに一緒に見ていた妹が爆笑
「お地蔵さんっぽいよ」って・・・。
(お地蔵さんに失礼だ。彼らはあんなに似合ってるのに、オレンジのよだれかけが。)
で、似合う色を知ると服を買うときに便利、
と同時にあまりにオレンジ色の似合わなさが強烈だったため、
色で冒険ができなくなる。
レッスンで「この素材とこの色のリボン、組合せ変ですか?」と生徒さんに良く聞かれる。
いえいえまったく問題ありません、素敵です。
『私とオレンジ色の取り合わせ』ほど、不釣合いな色合わせに今まであったことない!
「写真は心で撮るんだ!技術じゃない。」
いつもお世話になっているプロのカメラマンさんに「初心者向けデジカメ講座」を開催してもらえないか頼んだところ、つれない返事。それはそうかもしれないけど・・・。
アレンジをきれいに写すって難しい。
でも初心者にできるところから始めてみたいし、もしかしたら生徒さんたちにも興味のある方がいらっしゃるかもしれない。アレンジ撮影ミニ講座できないかなあなんて。
で先日、まずは自分からと出かけたのがメーカー協賛の「初心者向け一眼レフ一日セミナー」。
いつも手持ちの一眼レフで行き当たりばったり写していたけど、実は私はカメラの構造も知らないのだ。
「一眼レフ」ってレンズがひとつで、ファインダーから見えている画像は直接見ているのではないということ。写した画像をカメラの中で4回反射させて実景と同じ画像をファインダーに映しているそう・・・私、直接見てると思っていました、今まで。
笑っているあなた、ほんとに知ってました?(知ってるのかなぁ、普通・・・)
年配の方が多い参加者に混じって講義のあと屋外撮影実習。
同じ風景でも撮る人によって思わぬ構図になってできてくるのは、アレンジも一緒。
結果、少し構図を意識して数をこなすこと・・・やっぱり一朝一夕には無理よね。
でも「心」の前に具体的な「技術」でカバーできることが沢山あることもわかりました。
あとは練習あるのみ!
朝から何だか元気だなあ・・・なんでだろう?
熟睡したから?いつもだし、たんぱく質をしっかり取ったから?取りすぎて太ってきたし。
忘れていたら、窓から入る風にのって、一瞬キンモクセイの香りがした。
ああこれだ! 本物のキンモクセイはこんな暑いときにはまだ咲かない。
新しくしたヘアトリートメントの香りがキンモクセイだったのだ。
なぜキンモクセイで元気になるかですって?
だってその香りがするころ作品展の季節がやってくるのだもの。
空気が冷たく澄んだころ花が咲いて、ドライアートの季節が来たことを教えてくれる。
生徒さんたちが創造力の限りを尽くす作品制作のシーズンは、教える私たちにとっても体当たりの季節。
たいへんだけど、ここをがんばらないとね・・・・・・何のことはない、キンモクセイの香りを嗅ぐとパブロフの犬よろしく元気になってしまうのだ、私は。
あ〜なんだか単純な自分を発見。
本物の花が咲く前に力尽きちゃわないようにしないとね!
気をつけよっと、このトリートメント・・・。
街中を車で走っていて、交差点を信号で止まった。
ふと、横にあるお店の基礎を打つコンクリートに何か書いてあるのが目に入った。
そこには「1986年7月」の文字と、大きな手のひらの跡
そしてそれを囲むように小さな手のひらの跡が2つ型押しされている。
お父さんと子供が2人かな、それとも小さな子の両手かな?
それから20数年。
いつも大きいダンボールを運んでいる男性が小さいほうの手の主かしら?
その間ほんの数分。信号が青に変わって発進、
毎回通る道で意外な発見をした気分・・・。
右腕を斜めに横断するように同じ間隔でほくろが4つ並んでいる。
それぞれの間隔は5センチから6センチ。
これって私が細胞分裂したときのあしあとかもと思って、
その4つのほくろの行き先をたどる・・・。
見つけた!
右の肩甲骨の下に同じ向きで4センチ間隔のほくろが3つ。
友達に「私、細胞分裂したときの名残があるの」と見せたら
「しみじゃない?日焼けの。」
ガ〜〜ン
生まれた時のあしあとじゃなくて、衰えのあしあとだったのか・・・
でもまだ納得できなくて、今度病院に行くことがあったら
お医者さんに聞いてみようと思っている私。
高校時代の英語の授業の思い出・・・
ある日お昼休みが終わってすぐの授業中、いつもながら睡魔に襲われる私
絶対にばれないように教科書にマーカーで線を引きながら睡眠(高度なテクニック)
ところが私の横に立った中年の男の先生は、
「オー、ユーは寝てましたネー!! 隠してもダメです!」 ナンデワカッタノ?
見ると英語の横書きの教科書に縦に何本も線が・・・・・・ 縦横無尽
小学生の長男が水族館で買ってきたおもちゃがある。
プラスチックの手のひらに乗るくらいの薄型の水槽に透明な液体が上まで入っている。
上下には間仕切りをした隙間があり、比重の違う緑色の液体が収まっている。
何が面白いかというと、上から下に階段がつけられていてそこを緑色のボール状の液体が規則正しく降りていくのだ。
学生時代にたった1ヶ月でやめてしまった洋菓子店のアルバイトがある。
東京のベッドタウン、にぎやかな駅前商店街のちょうど最初の角にあるのがそのお店だった。半分が小さな喫茶店、もう半分が洋菓子店、また隣接した敷地には不動産会社もあるこじんまりした地元資本の多角経営だった。
50代の働き盛りの主婦ふたりが常勤のスタッフで、新米の私に丁ねいに仕事の手順を教えてくれた。ちいさなお店なので、洋菓子店が暇なときは隣の喫茶店のお手伝い。そこにはいつものどかにパイプをくわえたマスターがいて(彼がこれらのお店のオーナーなのだが)、おいしいココアの入れ方などを伝授してくれたりもした。
結構楽しくて気に入っていたのだ、ああいうことさえ気にとめなければ・・・。
すごーく涙もろい友達がいる。子供と行った映画の予告編で大泣きしてコンタクト流失、
残りの2時間を片目で見たという逸話の持ち主。
6年生の娘さんの卒業式が間もなくで心配。 「大丈夫?また大泣きするんじゃない?」
彼女「大丈夫、卒業式で流れる曲のCD買って、今から家で聞いて訓練してるの。
でもね〜、イントロ聞いただけでもう涙がドゥワァ〜〜って来ちゃって大変!」
・・・・・・全然大丈夫じゃないみたい。
小学3年生の長男は家で読むのはもっぱらマンガだが、学校の図書館から好んで借りてくるのは怖い話。○○レストランシリーズ。(○○に入るのは幽霊屋敷とか、真夜中の学校とか、妖怪とか)
読み出すと一気に集中し話し掛けても返事もしない。
その様子を見ていると、子供のときってそうだったなあと思い出す。
いつもお世話になっているイタリアンレストランのメニューはとても多彩だ。
・・・と今すぐここで具体的なメニューを紹介できない記憶力のなさが残念だが、とにかく品数が多い。メニューを最後まで見るのが大変なくらい。
スクールのパーティーなどもここでお願いしているが、毎回違うメニューでどれもすごく美味しい。
我が家のテレビの上には6人の仮面ライダーがいる。
ゴム製のではなくて、陶器で出来ていて顔の部分がバネでぐらぐら動くもの。高さ10センチくらい。
それは何年かに一回、ある日突然やってくる。
昨日まで仕事にとって無くてはならないと思われたものが、急に不要に感じられて整理したくなる。
そうなると大変。もういても立ってもいられない。
大きなゴミ袋とビニール紐を手に、突然の格闘が始まる。
日々の暮らしの中で、デザインの参考になりそうなシーン、仕事のヒントになりそうな事がらを写真に収めたり、メモで残したりするのが習慣になっている。
デンマークに仕事で旅行に行ったりすると、それはもうフル回転になる。
どの一瞬も、どのシーンも残しておく価値があるから・・・。
子供を連れて1ヶ月間コペンハーゲンに滞在したときには、2000枚の写真と日記を残す事になった。
右手、人差し指の第2関節に、いつの間にか硬いタコができてる。
これって何のタコだっけ?
ペンダコ?・・・う〜ん持たないなあ。
ハサミ? 包丁? 栓抜き? ホチキス? 手当たり次第チェック。でも心当たりなし。
ふと考え事をしているときに現場に遭遇。 あっ噛んでる!!
そう 犯人は私の前歯・・・。 キャー 歯型ついてる〜
個人的に、何かにこだわって収集するという事が出来ない性質(たち)である。
そんなわたしが唯一熱意をもって集めたのが、色ガラスの破片。
小学校1.2年の頃だと思う。
喘息の発作ばかり起こして、家で寝ている事が多かったちいさい頃、枕元にはいつでも遊べるように、お気に入りの小物達を集めた箱が置いてあった。
その箱の中にビー玉がいくつか。
夜、蛍光灯に照らすと、いく筋もの光の線が見えてきれいだった事。
ガラスを通した色への興味は、そんなところから始まったように思う。
夫の実家が函館にあるため、毎年5月の連休には家族で帰函する。
北海道に帰るといったら、友人にマリモを買ってきて、と頼まれた。
どうするの?と聞いたら、「だって癒されるじゃない!」
天然か養殖か分からないが、生きているマリモを売っているので驚く。
直径3センチの大ぶりのひとつと1センチくらいのが2つ。
3個がガラス瓶に詰められて2100円。
渡した友人はとても喜んで、
聞くと「マリモ用の水槽を買って、子供と一緒にずっと眺めてる」。 幸せそう。
去年の暮れの左手中指の骨折がようやく完治。
骨が再生するまで5週間。そこからあとはひたすらしっかり付くのを待つ。
私の骨ってすごい、折れてるとこ察知してそこだけ補強してくれるのね、と思ったら
「全ての骨が入れ替わりながら、足りない部分を補強するのです」、と整形外科医。
なるほど、数ヶ月前とは細胞だけは別人なんだぁ。
なぜ脳の中身は補強されないの?・・・前よりも少しだけ頑丈になった指を見て想う。
やっと2月がおわった〜。 2月は要注意の月。
カレンダーを見なくても立春が来たのがわかる。 喘息が起こるから。
ずっと平気だったのに、きっかけは子供の飼ってたハムスター。
寒さで動けなくなったのをティッシュでくるんで、一晩暖めながら添い寝。
次の日もれなく(?)発作も付いてきた。
2月が過ぎて、不思議と3月にはもう平気。
春一番。 ハムスターの置き土産と戦うわたしっ!
今年は戌年ということで、たくさんの方から愛犬の写真が入った年賀状を頂きました。
思わず抱きしめたくなるような、愛くるしいワンちゃんばかり。
我が家にも・・・おります。一匹ワンちゃんが。正確には「たまにいる」という状況ですが。
普段は佐久市にある実家に暮らしていて、両親が旅行に出るときなど、高速に乗って長野の我が家に居候にきます。
彼の名前は「幸風号」。通称さっちゃん。川上犬のオスで14歳、かなりのおじいちゃんです。老犬ですが、見かけはしゃきっとしているし、声にも張りがあり、まだまだ若い犬には負けません。
- 本部教室(長野市三輪)
- 川中島教室(長野市川中島町原)
- 上田教室(上田市秋和)
- 千曲教室(長野県千曲市)
- 中野教室(中野市三好町)
- 佐久教室(佐久市佐久平)
- ホテル国際21教室(長野市県町)
- お近くに教室がない方













