




小学生の長男が水族館で買ってきたおもちゃがある。
プラスチックの手のひらに乗るくらいの薄型の水槽に透明な液体が上まで入っている。
上下には間仕切りをした隙間があり、比重の違う緑色の液体が収まっている。
何が面白いかというと、上から下に階段がつけられていてそこを緑色のボール状の液体が規則正しく降りていくのだ。
1.2.3….と順序良く、きちんと並んで等間隔にはずみながら。早い話が砂時計の要領。
砂の代わりに緑のオイルを使って、しかもそれがひとつずつ階段を下りていく・・・。
最後の一滴が落ち終わって、下の間仕切りの中が緑のつぶつぶでひしめき合っているときに、砂時計のように「せーのっ」と上下をひっくり返す。すると先ほどの達成感は無に帰して、また先頭のつぶつぶからいち、に、さん・・・と折り始めるのだ。
買ってからしばらくは、子供も大人も意味のないその規則性に吸い寄せられてしまった。長男の友達が何人も囲んで、息を凝らしてみつめている姿はなにやら可笑しくかわいらしい。
が、しばらく見ているうちに私のほうはなんだか息苦しくなってきた。窮屈・・・。
この道しか行く道がなく、しかも主導権を緑のつぶつぶ自身ではなく他人に握られているのがたまらない。
別に水族館のおもちゃにそこまで反応する必要はないが、たまたま自分自身のウィークポイントと重なったため、ことさら身にしみてしまったのだ。
「少ない出口」と「一本道」が苦手・・・良かった、私、このつぶつぶじゃなくて・・・。
「退路がごくわずか」「少ない選択肢」「何かに属さなければならない」・・・こういったものに昔から拒絶反応が起きる。
何かの会議や集まりなどでもできる限り一番後ろの席に着くことが多い。たまに知り合いに会うと「いつも一番後ろですね」と冷やかされるが、「地震が来たときすぐ逃げられるでしょ!」と説得力のない言い訳。ただし半分は本気。そう話しているときに地震がおきて「ほんとだ」と納得されてしまったこともある。
もう半分は「属したくない」という気持ち。
主催者側に教えを請いに来ているような場合でも、一方では「取り込まれたくない」という天邪鬼な心理が働く。
素直でないつもりはないが、いつも隙間を気にしている感じ・・・。
ただし、その結果が個々人のオリジナリティを大切にするカラコレスのレッスンスタイルを創っているとすれば、「天邪鬼」も時には大切かも、と思う。
たくさんの選択肢を用意するのは骨の折れる仕事ではあるが、「隙間の美」「アンバランスのバランス」を求めてきてくださるお客様のために、今日もほどよい「天邪鬼」をキープします!
カラコレス・プリザーブド&ドライアートスクール代表 坂本裕美