




小学3年生の長男は家で読むのはもっぱらマンガだが、学校の図書館から好んで借りてくるのは怖い話。○○レストランシリーズ。(○○に入るのは幽霊屋敷とか、真夜中の学校とか、妖怪とか)
読み出すと一気に集中し話し掛けても返事もしない。
その様子を見ていると、子供のときってそうだったなあと思い出す。
夢中で読んでいると自分のいる場所が分からなくなり、その間とっても幸せ。ずいぶんそんな読書をしていないなあと思った。
本を読むのは何かを調べるためだったり、何かを体系的に知るため。大人になっての読書にはいつも目的がある。
細切れの時間の合間をぬって効率よくてきぱきと。
それはそれではじめての事を知って行く楽しみがあるが、読むというよりこなすに近い感覚。
子供時代のあの集中の深さは、好奇心と想像力がミックスされた今より深い世界だったように思う。
登場人物の声まで聞こえてきた。
ここにそんなことを書いているくらいなら、今やってみればよいと思うが、なかなか出来ない。
好奇心が足りないとか、集中力がないとか言い訳は色々できるが、そういうことではないみたい。
「今ここでまとまった時間をこのためだけに用意する」覚悟が出来ないのだ。
日々スケジュールは自分で決めているのだから、この言い訳もばからしい気もするが・・・確認するべきテーマが決まり、読む本とこなす仕事の優先順位が決まり、さあ。
あれ?さっき言っていた好奇心と想像力がミックスされた読書の時間はどこ?
友人に読書家がいる。
量もさることながら範囲も多岐にわたっていて、読後感もしっかり整理。豊かな読書だなあと感じる。(こんな個人的なことは本当は本人に聞いてみないと分からないのだが)
彼女の読書は「~せねばならない」に追い立てられていない。
そんな本の読み方も時には出来ればいいなあと思うが、これは本の読み方というよりは時間の使い方なのだろうな。
「何もかも忘れて読書する。」
せっかちな私がどうしたらそう出来るのか、試行錯誤している。
カラコレス・プリザーブド&ドライアートスクール代表 坂本裕美