




アルプスの少女ハイジの一場面。大自然のふところで過ごしたハイジがおじいさんと別れて、クララの住むフランクフルトの街中のお屋敷に預けられ、山の家恋しさにノイローゼになってしまう。
私には山の家もないし、ほとんど山にいるような長野市に暮らしているが、それでもハイジと同じような状況がひんぱんに起きる。ひんぱんに起きる分、症状も思い切り軽いのだが、「ここでないどこか」と言う気分・・・。
別にどこかに行きたいわけでもなくて、早い話が現実逃避願望。
「アルプスにかえりた~い!」
そのような状態は、仕事が行き詰まっているとやってくる。
大好きな「創り出すこと」を仕事に選んだので、創り出せない時は苦しい事になる。
それが作品とは限らなくて、安定して「創り出す」をお客様に提供するための状況の整理だったりもする。
これがデザインの場合に限れば意外と早く解決する。
30分と時間を決めて、何十冊もの洋書のデザイン集をはこんできて、それに一気に目を通す。見開きにつき1秒くらいの速さ。決して止まらない、目を通すだけ。
机の上にいくつもの本の山が出来上がった頃、30分が経過。
本の中から答えが出るわけではなくて、まったく違うものが頭の中に湧き上がっている事がしばしばである。
余談だが、この方法は先日知ったフォトリーディングという読書法と同じである。
集中力が高くなった中で情報を入れるという、充分理にかなったものらしい。
自分の中だけで何かを作り出そうと思うから、どうも立ち往生してしまうのだ。
「新しい組み合わせ」に必要なのは、大量の情報のインプットと外からのほんのちょっとの刺激。でもそれが他所でされても意味がないので、「自分の身体を通して」という部分は肉体労働になる。
そうして生み出されたデザインなり、作品なり、仕事の仕組みを前にすると「まあいっか、アルプス行かなくても・・・」と思う。
毎回、いつのまにか「ハイジの山の家」願望は消えていて、幻想だったことに気付くのです。
カラコレス・プリザーブド&ドライアートスクール代表 坂本裕美