




個人的に、何かにこだわって収集するという事が出来ない性質(たち)である。
そんなわたしが唯一熱意をもって集めたのが、色ガラスの破片。
小学校1.2年の頃だと思う。
喘息の発作ばかり起こして、家で寝ている事が多かったちいさい頃、枕元にはいつでも遊べるように、お気に入りの小物達を集めた箱が置いてあった。
その箱の中にビー玉がいくつか。
夜、蛍光灯に照らすと、いく筋もの光の線が見えてきれいだった事。
ガラスを通した色への興味は、そんなところから始まったように思う。
そうは言っても、集めたのはせいぜい7.8色。
唯一のコレクションが、そんな情けないありさまだったのを思うと、収集への私の熱意はそれが限度みたい。
持久力なし、忍耐力無し、飽き性で移り気でエネルギー無しのわたしは、間違っても優秀なコレクターにはなれない。
一方、母はコレクション上手というか、収集癖があるようだ。
何百と集めてきちんと整理された、動物の形の箸置き。
(動物の・・・というところがミソ。それ以外のものには興味を示さない。)
こけしや、お人形や、手まりや・・・様々なものがそれぞれのケースに収められている。
どうもこの人は2.3個集まると、数を増やしたくなるらしい。
遠くに出かけた際、コレクションを知っていると、お土産に困らなくて良いという利点もある。
わたしは他人が大事に集めた物を眺めるのは好きだが、自分が代わってそれをやろうという気力はないし、管理するものがふえるのは好きではない。
ところが管理するのは好きではないが、分類するのは好き、趣味かも知れない。
たくさん集まっているものを見ると、分類したくなる。
分類して整理し終わるともう興味がなくなってしまう。
管理して、思い出して何度も楽しみたいという欲求はほとんどゼロ。
母とわたしで互いの特性を生かしたら、素敵な博物館が出来るかもしれないが、お互い一方の特性だけでは、帯に短し・・・である。
カラコレスでも、何百という花材をきちんと管理し、毎月すごい数のキットを間違いなく組んでくれるスタッフがいる。それこそ中に入れるワイヤーの種類、数だって半端じゃないのだ。彼女の頭の中はどうなっているのだろう、と思う。
自分にないものを持っている人たちに出会うと、それが鏡となって、却って自分を知ることになる。
わたしにとっての分類は、次に形を変えるための準備であって、決してそのままの状態を保存維持するのが目的ではない・・・と、クリエイターみたいなことを言ってみるが、実はコレクションという地道な作業が出来ない性格を、ああだこうだ言っているのみ。
カラコレス・プリザーブド&ドライアートスクール代表 坂本裕美