





日々感じることや暮らしのこと、北欧・デンマークでの素材探しの旅やアーティストショップ巡り、さらにデザインのひらめきなど、カラコレスの舞台裏をご紹介します。

わー、お仕事が終わらない・・・
明日は千葉にお花のイベントで出かける予定だったけれど、
仕方がないわ、一日ずらすことにする。
毎年毎年作品展では同じことをやっているのだけれど
毎年シチュエーションが微妙に違うので、
同じようにあたふたしている。
一方、搬入担当の樋口先生の段取りは、
毎年格段にアップグレードしていて、
作品の梱包作業など、まるで芸術的。
凹凸のある作品を傷めないように搬入するには
それなりのテクニックを要するのだ。
素敵なポスターも出来てきて
受講生の皆さんへご案内と一緒に郵送したり、
私鉄の駅の構内に貼るお願いをしたり・・・
残すところ具体的な作業ばかり。
沢山の方々に受講生の皆さんの作品を見ていただけるように
私たちも出来る限りのお手伝いをしないと・・・。
がんばります!
クワガタが朽木の下にもぐってあおむけで寝ている。
このところこの寝姿が多い。
顔から上を木から出しているので
まるで朽木を掛け布団にしているみたいだ。
安心しちゃってるのね・・・
そばにはトレハロース配合のバナナ風味ゼリー。
安全な環境で寝食を保障されていると
もう野生の勘なんて働かないだろうな。
とは言うものの「メタボなおじさんクワガタ」になってほしくないので、
野生のかっこよさをキープするお手伝い。
割り箸でつのをつついて刺激を与えたら怒って向かってきた。その調子!
な~んて、人(虫?)のことかまっている場合か。
どうする? 自分のメタボ・・・
スタッフのひとりと来年の打ち合わせをしていて、
少しむずかしいと思える課題を提案した。
「出来る?」
彼女はしばらく考えて
「今の私になら出来るような気がします」と
言葉を選びながら答えてくれた。
これは「出来ます!」と即答されることの何倍もうれしい。
なぜなら去年の彼女には出来なかったのを知っているから。
ひとつひとつ経験を自分のものにしてきたからこその自信だと思う。
仕事は逃げない人を成長させるなあと改めて感じた。
と同時に「今の私にはあのころと同じことはもう出来ない」という時が、
いずれ年齢とともに必ずやってくるはず。
そのときに、若さや力だけに頼らないで「出来ること」の選択肢を
沢山にしておくためにも、
少しずつ難しい課題に挑戦しておこうと思う。
英会話のレッスンがなぜか今日はハロウィンのジャコランタン作り。
先週のレッスンで「来週カットするけど作りたい?」と聞かれたので
ぜひお願いする。
アメリカ人の先生宅兼レッスンルームに、場違いなエプロン持参で出かける。
オレンジ色の一抱えもあるかぼちゃのトップを切り抜き
中身をスプーンですくい出し・・・
といっても日本のかぼちゃを想像すると拍子抜けするくらいがらんどう。
あとはあらかじめ描いておいた顔に合わせてナイフでカット。
「どの形にする?」とイラスト集を見せられるが
そこはやっぱり前歯の入り乱れたクラシックなスタイルでしょう。
せっかく私が作るのだからと、
私の右頬のほくろも同じ位置に丸くカット。
中にキャンドルを灯して「ランタン」完成!
ここのところデンマークへ出かけていないので
レッスンもなんとなくのどか。
教わったことをすぐ忘れるので「とっても悪い生徒」なんだそうな。
家に戻ったら今度は母と干し柿作り。
ハロウィンとサンクスギビングがセットでやってきた!
(かぼちゃと柿のオレンジが夢に出てきそう・・・)
叔母から携帯に電話・・・
「今、おばあちゃんのところに来ているの。
今日とっても頭がしっかりしているから、ちょっと話してみる?」
98歳に近い祖母は入退院を繰り返している。
叔母は入院先のベッドサイドから電話をしてきたらしい。
「おばあちゃん、わかる? 裕美だけど?」
「ああ裕美ちゃん?うん、うん、わかるよ」
少し張りはないが前と変わらない若い声。
「おばあちゃん、今日気分がいいの? 私また会いに行くからね。」
「・・・・・・」
叔母が電話を代わって「うなずいていたから話は伝わったみたいよ。
途中で電話だって忘れて返事するのやめちゃったみたいだけどね。」
ここ数年寝たきりだが頭はしっかりしていて、
少し前まで筆字で日記をつけたりしていた。
叔父が病院で読むようにと絵本を送ると、
「こんな読むところのないものはダメ、歴史の本を送って!」と豪語。
書くことが好きで、私がまだろくに字を書けない小さいころから
候文の巻紙の手紙を送ってくれて、
読めない私は母に翻訳してもらったりした。
夫を早くに亡くしてがんばってきた、スーパーおばあちゃんで、
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬはひとの なさぬなりけり」
事あるごとに、耳にたこが出来るくらい、母に言われてきたこの格言も、
実は、母が祖母から同じくらいに言われ続けたのだと知った。
最近眠っている時間が多くはなったが、
今日の声を聞けば、まだまだ元気で周りのほうが励まされてる。
本当のことを伝えて相手を怒らせてしまうことが、たま~にある。
だけど、仕事の話では真実と思うことを伝えるところから
始まるんじゃないかと、まだ思っている。
人の話を上手に聞くのは難しい。
これこれについて相談していると思って話していても
それは上澄みの問題で、その下にはもっと別の不安が隠れていたりする。
うっかり上澄みの話にアドバイスをもらったりすると
本質的な問題まで届かないまま話がそれていってしまう。
このごろ自分自身の問題では上澄みとその下に2段の構造があることが
だんだんわかってきた。
人とのやり取りを通して
「この部分の不安を顕在化したくて話していたんだ」
というのがわかるようになってきた。
時々だけれど。
ただそれも、人の話を聞いているときにはわからない。
怒らせてしまった相手にも、2段の構造があったのかな・・・
なんて思う。
いつも注意深く周りを見ている長女16才、
買い物に出て「さっきより大分すいてきたね」
注意力に極めて欠ける私。「どうしてわかるの?」
長女「わかるでしょ、さっき両隣止まっていた車が今ないでしょ?」
私「注意深いね」
長女「私から注意深いところ取ったら私じゃなくなっちゃうもん。」
私「ママと足して2で割ればよかったよね」
長女「どうして2で割るの?
そしたら今より少なくなっちゃうんじゃない? いいところが。
それって損するだけじゃない?」
な~るほど~ こちらはどこまでも注意力散漫な私・・・
樋口先生の声が先週から突然ハスキーになった。
風邪ではなくて、毎年この時期になると同じ症状がでるので
作品展に向けてのプレッシャーだと思う。
阿部先生がぎっくり腰になった。
お風呂上りに貧血で倒れ、イナバウアー状態に・・・。
気が付いたら既にぎっくり腰になっていた。
そろりそろりと平行移動しながら、
「ああ、そちらのベースにはこの素材のほうが・・・」なんて
首から上は元気がよい。
ここのところイベント続きで先生達もハード。
作品展も一ヵ月後に迫ってきて、
教室に飾られた迫力の大作が毎日少しずつ増えている。
あと少し、受講生の熱気に励まされて先生達もがんばってます!
何にでも先生といわれる人がいて
その人の指導の下に勉強するのが手っ取り早いと思うけど
ふつう先生には点数が付いていないから
自分が何点の先生に指導されているのかわからない。
先生も自分に点数はつけないから
狭い世界の中で「先生と生徒」あるいは「師と弟子?」は
「こんなものかな」という自己満足の関係に
なってしまうのではないかな?
それを打開するには先生も生徒も常に勉強するしかないけど、
もし先生が勉強したり研究したりしてくれないのなら、
仕方がないですね、生徒は先生から離れてしまうのでしょうね。
これは「信じてついていく」とはまた別の次元のお話。
いろいろな場面で、自分が「先生」と「生徒」どちらの役にもなりうると
肝に銘じて・・・。
いつまでも怒っていることができない。
子供相手に「○○しなさい!」と怒ったすぐあと、
自分では気がつかないんだけど鼻歌歌ってるらしい・・・。
子供たちに「ママ、すごく怒ったあとすぐ歌を歌うのやめて!
どういう対応していいかわからなくなっちゃうでしょ!!」とよく言われる。
ウフッ、罪を憎んで人を憎まずなのよ♪
なーんて、実は持久力と記憶力が乏しいだけなんだけど・・・。