





日々感じることや暮らしのこと、北欧・デンマークでの素材探しの旅やアーティストショップ巡り、さらにデザインのひらめきなど、カラコレスの舞台裏をご紹介します。

計画を立てるまでは何とかなるけれど、
そこから本当に最初の一歩を踏み出せるところまで
行動を細かく分けて落とし込んで・・・
これがなかなか時間が掛かる。
今までそんなこと考えずに動けたのは
一体どういうことでしょう?
単に考えなしだったのか・・・。
高2長女「明朝体の反対語って何?」
私「明朝体に反対語なんてあるの?」
小5長男「あんやたい」 私「・・・???」
長男「だから~暗夜体だってば!」
なるほど、
このようにして部分最適化の誤りは起こっていくのね・・・
その日やらなければならないことに追われているのは
どうなのかなあと思う。
とりあえず、その日やるべき事は終わらせるのだけれど、
それもぎりぎり・・・。
秘書がほしいっ!!
北野建設モデルハウスさんでの展示会でお世話になった
陶芸の矢島寛子先生にお願いして、
オリジナルの銘々皿を焼いていただいた。
長めの葉っぱの端にどんぐりが2つのってるの。
お願いしたのが秋だったので、茶色の秋色でかわいい♪
矢島先生はチャレンジャーで、
ご自宅に伺うといつも新しい作品や土の組み合わせに
試行錯誤していらっしゃる。
ものを作るもの同志「実験ですよね、最後は」に行き着く。
実験できる事の幸せ!なのです。
善光寺の灯明祭りに家族で出かける。
最終日、滑り込みセーフ。
きびしい夜の寒さの中、
参道いっぱいに並べられた切り絵の灯明を楽しみながら、
本堂の幻想的なライトアップを楽しみながら、
久しぶりに表参道を上がっていった。
本堂でお参りして家族でおみくじを引くと、
私だけ「大吉」。
そういえば、お参りのときに
「○○が良くなりますように」ってお祈りしなくなったなあ・・・。
良いも悪いも一概には判断できないと気づいてからは、
無理やり良い事を願って何かを好転させたいというエネルギーが
沸かなくなったんだった。
だったら何てお参りするかといえば、
「なるようになりますように・・・」。
何ともいい加減なお祈り?
「なるようになった暁には、それに対処します」という意味。
本人はいたってまじめなんだけど。
川中島のタカラスタンダードさんのショールームで
信越住建さんのフェアのお手伝い。
一階のフロアではすまいの相談会でにぎわって
私たちは2階の会議室でご希望の方にレッスン。
今回はストラップのマカロンのほかに
ショートケーキやロールケーキとセレクトも充実です。
14日まで開催しておりますので
お近くの方は是非お出かけくださいね!!
昨年から意識的に自分の枠が広がるような場面に
行くようにしてきた。
けれど、やっている日々の作業に変わりなく・・・。
変わりは無いのだけれど、
分母が大きくなった中での日々の作業は、
それなりに意味を持ったり、
はっきり「ここにいる」という位置の確認につながるようになった。
少し離れた場所から自分のことを見られるようになったのかな。
「のりしろ」が出来たなあと感じる。
これと同じ時期がむか~しあった。
大学に通っていた4年間・・・。
もちろん勉強していたわけではありません(笑)。
新しい世界で、いろいろな事を試してみて
ちょこっとは勉強して、あとは遊んだり遊んだり遊んだり・・・?
この「遊んだり遊んだり遊んだり・・・」が、
その後の自分にとって何十年もキープできる「のりしろ」だったとは。
しかもそれがわかるのが30年もたってから、というのが怖いなあ。
「のりしろ」を作っている時期に共通するキーワードは
「遠回り」と「一見むだ」。
積極的に「のりしろ作りたい」というような直接的な動きでは、
「遠回り」できないという、
なんとも切ない矛盾に気が付いたりして。
あとになってわかるのよね、あれもこれも。
夜9時。
「ねえ、まだ宿題やってないって言ってたよ」と夫。
私「そんなこと無いでしょ、もうこんな時間だし」
話題の主は小5の長男。
2階へ行って見ると、お風呂上りのツルツルの顔で
高2の長女の部屋のコンパクトなソファにちょこんと座って
幸せそうにマンガ本を読んでる。
「まだ宿題やってないってほんと?」
長男「やったよ、とっくに」
マンガ本から目を離さない。
「パパがそういってたよ」
相変わらずマンガ本を見たままだけど、目がにやっとしてる。
「だましたな~?」
相変わらずマンガ本を見たまま、でも目が笑ってる。「うん」
まったく・・・夫は最近この手に乗せられてばかりだ。
お世話やきたい夫に、少し大人になってそれがうるさくなった子供達が
肩透かしを食わせる場面多発。
どう考えても先に成長しちゃった大人の方が不利だ。
経験則が身に付いちゃってるからね。
面白がってる私は普段から大人気ないので、怒らせると本気になり、
子供のからかいのターゲットにはなりにくいらしい。
プリザーブドやドライアレンジに添えるリボンを形作るときに、
ロールからつながったままの形でつくると作りやすいが、
カットして全体の長さが決まっているリボンで
形作るのはやりにくい。
最初の工程での少しずつのずれを、
おしまいの長さが決まっているリボンでは吸収できないから。
最後から逆算して、「これしかない」という完璧な配分で
作らないとできない。
ここまでという長さ(デッドライン)を設けると、
そうでないときとは比べようも無いほど
大きなプレッシャーを受けるのを感じる。
これは仕事全体にも言えることで、
仕事の場合のデッドラインはあいまいになりやすいのと
私は自分を信用していないので、
他人の存在を使うに限る・・・。
「公表する」
いついつまでにこれとこれをどこまでやる・・・を
公表してしまうと、やらざるを得ないから(汗)。
デッドラインはリボンを切り離すような冷たさで
苦手な事を折りこむのがよいみたい。
「あ~やりたくない」って言いながらなのはもちろん・・・。
立春より少し前に、
二日続けて同じ内容の不思議な夢を見る。
こういうのって後から思うと予知夢のようなことだけれど、
現在進行形の今はまだ何の示唆かわからない。
夢の内容はこう。
ひとりの知性の塊のような男性を我が家へ招待した。
ところが家についてみると10人もの女友達のグループが
同じ日、同じ時間に私に招待されて家に来ていて
鉢合わせになっているというシーン。
しかも料理がそれほど得意と思えない私が
それぞれを手料理でもてなす事になっていて
「どうしよう、何を作ったらいいの」とあせっている。
この2つのシーンだけ。
ただし感情的にはもう少し細かい描写までおぼえている。
自分で招いておきながら知性の象徴としての男性に対して、
胡散臭いものとして疑いを抱いているみたいなのだ。
その知性が「体系化されたうそ」じゃないかと思っているらしい。
一方女性たちの集まりは騒々しくて秩序が無くて
生命力の塊のような存在。
私はそれに対してかなり肯定的な感情をもっている。
イヤじゃないって事。
これって何ナノかな・・・。
メモ代わりにここに書いたのは、
いつか明確にわかるときが来るだろうと思うから。
しかも忘れた頃にね。