




9月いっぱい使って、
辞めてもよいことを考えて見ます。
たくさんあるはず。
惰性で続けてきた事。
10月から新しいことも始まるので
少しスペースを空けないといけません。
何も捨てずに増やすだけ増やすなんてありえないのよね。
先日のアンティーククラフトレッスンのとき、
予約の馬場さんが少し遅れられた。
確かケイタイに最近登録したはず、と確認すると
「ばば」・・・あれ?いつもならカルチャー馬場さんとか
もう少していねいに登録するんだけど、と思いながらも電話。
同時に馬場さんが入ってこられた。
と同時に母から電話「今電話くれた?」
横にいた安部先生が「ばばちゃまだったんですね、さっきの」と爆笑。
紛らわしい登録したせいね。
小6の長男が学校から帰ってシャワーを浴びて、
おやつを食べて・・・静かになったので勉強しているのかと思ったら、
和室ですやすや。
2時間そのままお昼寝タイム。
ピクリとも動かない。
運動会の練習が始まったのね。
暑いから大変。
小学校最後の運動会、この暑さで思い出に残りそう。
先生方もお疲れ様です。
(カラコレスの受講生の中に大勢いる先生方も、
暑い中ご苦労様です!!!)
昨年から新しいことばかり山のように始まり、
その都度注意深く準備して
なるべく失敗や痛手の無いようにやってきた。
・・・急にそれがつまらなくなってしまった。
どうしたんだ・・・。
昨日「絶望のふち」のドアにタッチしたら
突然性格が変わっちゃったんだろうか?
べつに形にならなくてもいいじゃないと思いはじめた。
一回目から完成をめざすなんて、
なんと無意味なことよ。
経験したことのない私が描く完成形なんて、
しょせん予定調和に決まっていて、
そこにこだわるのは本当に無意味。
ここのところ私がとらわれていたのは
「予定調和」だったのかも。
自分でそれが窮屈になってきたみたい。
そうそう「変化するカラコレス」だったわ。
うっかり「完成」なんて言葉に誘惑されて
金縛りになるところだった。
完成や安心なんて、「表現する私達」には
ありえないんだった・・・
それを思い出したら急に自由になった!
久しぶりだな~この感覚♪
とにかく夢は良く見るし、
日中、人と話しているときでもいきなり目の前に映像が広がって
イメージを伝えてくることもある。
今回のは多分それ。
私はひとりで途方もないほど遠くへ行った。
しかも暗くて周りは何も無い。
足の下に地面もないし、周りに触れるものも何も無い。
本当に何も無い宇宙の真ん中のようなところ。
そこでいきなりおでこにゴツンと何かがぶつかった。
見ると目の前にガラスのはまったドアがある。
なぜか私はそのドアの存在を知っていて、
「ああここでおしまいなんだ」と思って来た道を引き返す。
ドアノブに触る事もしないで。
これだけ。
行くときも返るときも一瞬のうち。
不思議なのはドアにぶつかる前と後の気分が全く違ったこと。
うまくいえないけど、
ドアにぶつかるまで不安でいたたまれなくて、
自分の存在に不信さえ抱いていたのが、
おでこがドアにぶつかって、
私の中でなにかが「ここまで」とわかったとたん、
すっきりして元気になったこと。
あのドアなんだったのかな?
「絶望のふち」みたいな境界線のドアだったのかな?
私はなぜそこにドアがあるのを知っていたんだ?
わからないことだらけだけれど、
まあ半分夢の中のようなものですから、
今にまた続きが出てくるかもしれないし・・・。
秋に向けて2つの小さな本を作っています。
1つは昨年の生徒作品展の作品集。
昨年のものなどで、
出品した方で残しておきたい方には希望頒布します。
こちらは写真と出品者の皆様に頂いたコメントが中心なので、
あまり困った事は起こらない。
素敵な本になる予定で、もちろん今年の作品展からあとも
同じような本にして残しておく予定です。
もう1つは私に関しての小さな本。
プリザーブドやドライの作品を中心とした。
東京の出版社の担当編集者と打ち合わせを重ねていますが、
見えてきたことと、見えてこないことがあります。
編集者を困らせている「見えてこないこと」とは、
どこに主役が居るのかわからないということ。
曰く「坂本先生があまりに客観的にご自身のことを語るので
もうひとり別の坂本先生という方がいるのかと思いました。」と。
「こういう先生は初めてです。
普通先生というと、私が!ともっと前面に出てこられますから」とも。
二人で話して行き着いたのは
私の主眼が「お客様の表現のサポートをする」ことにあるので、
「私についてきて!」というタイプとは違うからではないかと・・・。
また表現のサポートの手段として
カラコレスがご提案する選択肢が増えている今は、
作品だけを追いかけても、
余計に私の仕事はわかりにくいのかも。
「見えてこないこと」はそのまま「見えてきたこと」だったようです。
小さな本と言いながらも、
結局は自分と対峙するはめになるわけで、
本以外にも、ここのところ私が今立ち往生している状況は
そのままこういったことが反映してきているんだなと、
とっても個人的なことですが感じました。
整理するタイミングが来てるのですね。
「ママ、モリーが大変!」
長女に呼ばれた。
行ってみるとハリネズミのモリーが
身体を伸ばして地面にだらんとしてる。
呼んでも動かない。
えっ死んじゃってるの・・・・
おなかの下に手を入れたら
ようやく面倒くさそうに針を立てた。
手のひらに載せてみるけれど、
これといって変わったところはないので、
夏ばてかな?
ご飯も普通に食べて、
手足が骨折している様子もないから大丈夫だと思う。
よかった・・・。
ハリネズミの寿命は6年くらいだそう。
今3年目。
いつかこの光景が現実になって
おなかの下に手を入れても目を覚ましてくれない朝が来るはずだけど、
今じゃイヤ。
何も起きてないのに心配になって、
そのあとずっと悲しかった。
年齢を重ねることで単純にしっかりしてくると思っていたけど、
考え違いだとわかった。
長女が成人に近づいて、
私たち夫婦も結婚したときの親の年齢に近づいて、
そう簡単にはしっかりしないものだと・・・。
堂々とした落ち着きは身につかないかわりに、
年を取るごとに好奇心はつよくなっているのを感じる。
よかった・・・。
「?」を追求する楽しみと引き換えなら、
いいかな、渡しちゃっても・・・「堂々とした落ち着き」。
9月1日発行のメールマガジンを制作していて思いました。
何でこんなに色々やっているんだろうって(笑)
だって、ざっとメルマガのコンテンツを見渡しても
プリザーブドフラワースクールに
フェイクスイーツにウェディング。
最近新たの加わったのが
アンティーククラフト講座に
フェイクのウェディングケーキ専門講座・・・。
更に更にもうシーズンは生徒作品展に向けて動き出していて、
今年はそれに向けて生徒作品展の作品集も制作する。
こちらは試しに昨年2009年度のものからすでに作業は始まっている。
秋だけで2009年、2010年の2つの生徒作品展作品集と
私の小さな作品集制作。
表現のお手伝いから端を発した
「ありそうでなかったカメラ講座」
10月初開校も忘れてはいけないわ。
加えてプロモーションビデオの制作が始まっていて
すでにまとまった形にしていただいてある。
あっそういえば企業様の出張イベントもこの時期目白押しなのである。
で、私が大変なのかと言うと、「いえ~特には」なのだ。
全部不思議なご縁を頂いた方々でまわっていて、
なんだか私の外側が動いているだけみたいな気がする。
私の気分はいよいよ「艮為山(ごんいさん)」で、
動きたくても動けない気分なのです。
しかもこれ、今朝易を立てたら本当に出たし・・・。
自分が動きたいのに動けない状況で、
周りが替わりに動いてくださると言うのは、
なんだか不思議な気分。
もったいなくもありがたいことです。
この秋の私は「動けない~」とぼやきながら、
それでも稼動可能なつま先で
半歩づつ前に進むと言うイメージでしょうか。
これってカラコレス(スペイン語のかたつむり)そのものよね・・・。
今までもそうだったのかな?
「捨てたい病」が「モノの整理の時期」を過ぎると
とたんに苦しくなってくる。
「捨てたい病」って何?
周期的に来る突発的な症状の事で、
いきなりあれもこれも捨てて整理したくなること。
最初は楽しいの♪
物理的な捨てる、は進度が見えるから。
そのうちに何をどうして良いかわからなくなる。
ここからが本番で、多分私が思うには、
最初の「モノを捨ててルンルン♪」は、
あめとムチのあめの部分なんだ、きっと・・・。
今まで起こったことを考えてみても、
やっぱり最初はあめをあげておかなきゃってのが多かったもの。
あめだけもらっておしまいっていうのはダメかな?


