




私はおでこの真上につむじがもうひとつあるので
前髪が跳ね上がってしまって大変なのだ。
これは長男にも遺伝して
朝起きると彼の前髪もビヨヨヨ~ンと飛び跳ねている。
くしを片手に四苦八苦して
挙句にあきらめて上から帽子をしっかりかぶって
登校時間を整髪に当てている。
多分父もそうだったのではないか・・・
推測なのは、今父に前髪が存在しないのでわからないから。
ほんと、変なとこ似てイヤよね・・・。
長崎への修学旅行から帰ってきた長女が
写真をプリントアウトしている。
一足早いさくらの写真。
モノクロに加工して小さなコメントをつけて
表紙にしていた。
長野のさくらも直ぐにでも咲きそうな暖かい一日だったのに、
明日からまた寒くなるって・・・
春は遠いな・・・。
イメージすることで人の行動ってどれくらい変えられるのかな?
目の前の課題を1つずつ解決する事も大事だけれど、
その形だと根本的な状況を解決できないまま。
根本的な状況というのは、生存本能から出た
「ここに居たい」という欲求。
ありたい姿をイメージしてギャップを埋めようとすると
それがそのまま課題の解決になる・・・はず。
実験もたくさんして来た気がするけど、まだまだ。
つかんだ答えが正解じゃなくてもいいと思えるなんて、
大人になる醍醐味ではないかな?
選択肢は色々あるけれど、
どれを選んでもいずれ縁があれば行くところに行き、
出会う人に出会う。
その確信を得た事が
正解を見つけるよりずっと大事。
無駄になることは何もないのよね、
平等だなあって思う。
全体を見なさいってことかな・・・
最近私の周りで起こっていることは。
メモなくしちゃったのも(まだ言ってる・・・笑)
何もかも。
全体だから境界がないし、
究極の公私混同。
仕事も家事も育児(とは言わないか、子育て?)の
何もかもをひっくるめて全部。
こういう時は自分の置かれている役割から見渡すのが
いいのかな?
仕事のほかに母で妻で娘で姉で・・・という。
スタッフとうちの子供たちのコミュニケーションが
意外なところに存在している。
もうかなり前に辞めてしまった50代のスタッフから聞いた話・・・。
レッスン室で自宅教室の用意をしていたら
まだ幼稚園未満児の長男がそばにやってきて
「明日運動会なんだぁ、かけっこやなんだよね」って。
「大丈夫だよ、一生懸命はしればいいんだよ」というと
「そっかぁ」と納得した様子。
こんな小さな話も何年もたってから教えてもらったりして。
周りに育ててもらっている子供達です。
下を向いて咲く控えめな花なので
なかなか気づかないが、
小さな庭のあちこちで白、黒、グリーン・・・。
我が家のは以前借りていた倉庫の大家さんから
分けていただいたのが6株。
あとは実家から持ってきたり
珍しいのは買ってきたり。
今度久保先生と交換しようねと話してるの。
夫はたまに異空間にはいってしまう(笑)
ある場所に出かけたのを、「どのくらい時間掛かった?」と聞いてきたので、
すかさず「○○まで電車で40分、そこからバスでまだ30分、
思ったより遠かったよ」とまじめに答える私。
何の反応もない夫、視線は全く違う方向に向けられ新聞を読んでいたりして。
「ねえ、今の話聞いてた?」
しまったというように、「あっ聞いてなかった」
「男ってのはそういうもんなんだよ、すぐ気が散っちゃうの」
・・・まったく・・
もうすこし、ましな言い訳を考えよ!
なんだか変だ。
少し前に「やらないといけない事リスト」、
いわゆるto do listをかなりきっちり作った挙句に、
出張先のホテルのゴミ箱に誤って捨ててきてしまったのだが、
それからなんだか変・・・。
思い出せない・・・。
書いたことではなくて、
「○○のために○○をしなければならない」と思っていた自分のことを。
仕事を始めてからはずっとこの
「・・・・しなければならない」を基準にしてきた。
ますますバカになっちゃったんだろうか???
仕方がない、
しばらく「なんだか変な自分」のままでいることにする。
「ママずっと寝てたじゃない!」
いやいや寝てたのは移動中と大学の説明会の最中。
要するにつまらなかった部分。
オープンキャンパスに長女と参加。
卒業制作の発表も兼ねていて面白かった。
プレゼンテーションは作品に加えて映像も音楽も
当然のように用意されていて
荒削りながらも光っている。
対照的だったのは大学側の説明。
先の学生にプレゼンを教えた側のはずなのに
昔ながらの通り一遍ののやり方で残念だった。
それにしても、少し前までは
プロ中のプロ達が集まって作ってきた空間を、
「消費者として体感」してきた若い人たちが、
今度はそのまま表現する側にまわれてしまうのはすごい時代。
娘の進路はおいておいても、
私が見ていて楽しかった。


