




時間的な制限
金額的な制限
空間処理としての制限
この3つがそろうといきなりクリエイティブになる。
制限とは境界のことで、
境界があることで、パワーが内向きになるからじゃないかと思う・・・。
小雪のちらつく寒い陽気。
卒業、入学のシーズンにはよくあること。
春物のフォーマルでは風邪引くのよね、
皆さんお気をつけて。
そういえば長男が幼稚園入園の7年前には
まだスタッフも充分育っていなくて、仕事を回すのがやっと。
気づいたら入園式の3日前で、
あわててお洋服買いに行ったっけ。
良かった、気づいたのが当日じゃなくて・・・。
ある文章を読んでいたら「真実」についての記述があった。
「真実」と向き合うのは骨が折れる仕事で、
その痛みを忘れるために脳が否認や合理化を行なう。
けれど一度勇気をもってそこに向き合えば
状況は打開する・・・というようなお話。
経験した事に限っては「その通り」とはっきり言える。
ただ気になるのは何をきっかけに
「向き合っていない」自分に気づくのかなあということ。
だって不思議でしょ、自分では真実を見ていると思っているんだもの。
ずっと忘れられないSF小説がある。
小学校3.4年のときに読んだもの。
地球崩壊の目的で送り込まれた宇宙人がいて
ある家族のお父さんに入れ替わり普通の暮らしを送ってる。
彼は与えられた使命も過去の記憶も消されてるので、
本当に自分はこの家のお父さんだと思ってる。
ところが状況証拠を積み重ねていくうち、
「この自分はもしかしたら本当の自分じゃないのでは?」という疑問が・・・。
そしてそれをつぶやいた瞬間、彼のからだの中で
「カチッ」と起爆装置のスイッチが入る音がした。
スイッチを入れるキーワードは
「自分の存在を疑うこと」そのものだった・・・。
どう? ねっ? 怖いでしょ?
「真実と向き合う」って、この起爆装置のスイッチを入れるのと同じだと思う。
だって過去の自分は吹き飛んじゃうのだもの。
それでもやるかっていう・・・。
自分ひとりでそれが出来る人はほんとに勇気のある人だと思う。
私にはとてもとてもそんな勇気はないので、
周りに手伝ってくれる人をたくさん置いておきたい。
「吹き飛んじゃったらどうしよう~」
「そうですね~シートベルトつけますか」ってね。
そうそう最初の疑問
何をきっかけに「向き合っていない」自分に気づくのか。
変わりたい想いが強いとき?
それは「起爆装置のボタン」に指がかかった証かも・・・。
狭い地域なので、意外な人に会うことは多い。
先日のカルチャーでは、私が佐久市の出身というと
「夫の出身が佐久の○○という場所です」とおっしゃるお客様。
地名とその方のお名前から、長野に転勤してきてから
お世話になった小学校の担任の先生を思い出した。
「○○○○先生という方に小学校時代お世話になりました。」
冗談半分でフルネームを言うと「それ、叔父です。」って・・・!
あらあら。
その先生は熱血体育の先生で、
夏も冬も毎朝6時半から校庭でソフトボールの練習。
当時喘息で休んでばかりの私が丈夫になったのも、
その先生のおかげかも。
まさかこんなところで先生の近況をお聞きするとは。
また違うテーブルでは
「あら!そうなの?」「まあ・・・お近くですね」
こちらは同じエリアの隣同士の地区の方でお話が盛り上がってる。
そういえば、永田先生も先日無料体験にいらした方が
中学の同級生だったって・・・。
きっと都会のお教室ではありえないのんびりした風景です。
イギリスに短期留学する長女に高校側からの課題のひとつ、
『日本らしいお料理もしくはお菓子をホームステイ先でつくってみること』
長女「代理店の人があんこのお菓子は不評だって言ってた。」
小学4年の長男がそこで反発。
「何でそんなこと決めるの?
その家の人好きかもしれないじゃない?
そんなこと言ってたら本当に好きなものわからないでしょ。」
(最近理屈っぽいが一理ある)
長女「私があんこを普及させる仕事の人ならね、
山ほど持っていって好きになってくれるまでがんばると思うよ。
でもそうじゃないから、やっぱり無難な選択にしておくよ。」
長男「(あきらめたように)ふ~~ん・・・」
屁理屈まじり?だけど、それぞれの意見に納得の単純な母。
たまたま聴いていたCDで
「普段意識している自分とは反対の自分をあえて演じる事で
問題解決の力がつく。」というのがあった。
反対の自分をイメージの中でつくるのは難しいので
2年前にやったCUBICという性格診断の結果から考えるとこんな感じ。
そのときの私の診断結果は
「責任感、自主性、達成意識、客観性が高く指導力あり。
ただし協調性、共感性、親和性低く、社交意識も低い。
極めて内勤指向で、全くの非組織人間。」
これを反対にすると
「責任感も達成意識もあまりないが、
人と仲良くまとまってやっていくのは得意。
行動的でパワフル、組織の中で力を発揮するタイプ」
という事になる。
「組織の中で人と仲良く行動的に」やっていく事は出来ると思う。一時的なら。
お勤めだってしていたんだから・・・。
でも「責任感も達成意識も」捨てちゃうのはちょっとさみしいかな~?
いずれにしても、演じるまで行く前に『反対の自分』を想定してみて意外だった。
もっと認める事ができない存在かと思ったのに、そうでもなかったから。
それよりなにより「反対の自分」が主役の時期だって今までにはあったはず。
これってどういうことかなあ?
どちらも思い込みの産物ということ?
あと2年位してもう一度性格診断やったら、
「責任感も達成意識もあまりないが、
人と仲良くまとまってやっていくのは得意。
行動的でパワフル、組織の中で力を発揮するタイプ」になってるかも・・・。
長女が高校の企画で、春休み3週間ほど家から離れる。
こちらは心配なのであれやこれやとつい世話を焼く。
そう、いつになく・・・。
というのは「私が経験したこと」で
「彼女が一人では経験した事がないこと」なので、
こちらとしては気がまわってしまうのだ。
荷物の用意から始まって「あれやった?」「これやった?」と。
不安が半分、知らない故の楽天的気分が半分の長女は迷惑そう。
そんな彼女を見ていて思った。
これって、親にとっても子にとってもイニシエーションなのかも!
「物理的で」「外からやってきて」「強制的で」「かなり強力」・・・
中途半端にどうこうできないという意味では、願ってもない状況。
今、伝えられる事は色々あると思う。
・やっておいたほうが良いと思われる準備。
・さまざまなことの優先順位。
・しっかり準備しておけば後悔しないし、
思い通りに行かなくても落ち着いて対応できる事。
・ハプニングが起きた場合の対応。
でも言うは安しで、こういう事って「おこないとセット」になって
はじめて身につまされる事だと思うし、
そこまでの想像力が身に付くには失敗や挫折が必要不可欠。
そうか、失敗と挫折を経験するために行くわけね、
それを納得しないといけないようですね、こちらも・・・。
英会話のレッスンが「What’s new?」で始まるが、
それに答えられたためしがない。
デンマークにはじめて行く前から始めたレッスンだから、
もう10年以上毎週同じ質問をされ、
毎週同じように答えられない・・・。
わすれちゃうのだ。
どんなに大事なイベントがあっても、
大変な出来事があっても、うれしい事があっても、
一日でも過ぎてしまうと気持ちが次へ行ってしまう。
正確には「心の準備が整ってしまうと」、
興味の対象が次のことへ移ってしまう。
だから先週のことなんて聞かれて答えられるはずがない。
今日もやっぱり答えられなかった。
先生は心配しているだろうな。
「大丈夫か?毎回ヒロミは・・・」って。
それともあきらめたか・・・。
500回ちかく「What’s new?」が空振りに終わったものね!
丸まっておはぎ状態になってから
周りの様子を伺って、鼻を出し、顔を出し、
手足を出してひっくり返り起き上がる。
写真は鼻を出したところ。
白い産毛の中に小さくピンク色に見えるのが前足。
体の割合に足は細くて長い。
今日も人差し指をかまれたけど、
思い切り歯を立てるというほどでもない。
「ちょっと友達になってきたから加減してみたわ!」って感じか・・・。
媚びてこないこの距離感、けっこう好きかも・・・。
季節はずれの雪。
夫の仕事が高速を使って1時間ほどのところなので、朝が心配。
3学期も残すところわずかで、子供達も慌しい。
毎日少しずつお習字セットなんかの備品を持ち帰ってくる。
明日は午前中からスタジオで作品の撮影。
情報誌掲載用のアレンジで思い切りポップな春バージョン。
仕事もプライベートも入り混じった雑多な日常・・・。
「行ってきます」とドアを閉めたらそこから仕事場・・・なんて、ありえない。
全ての現実は選択の連続が生み出すものだから、私は
『仕事もプライベートも入り混じった雑多な日常』を選んだわけ。
それに気づかないで、二つをきれいに分けようともがいていたころは
「分けられない」ことにものすごいストレスを感じていた。
でも近頃は「仕事とプライベート」とか「仕事と家庭」、って
地面とそこに植えられた大樹みたいな関係じゃないかなって思う。
大地に深く根っこを張って毛細根をどこまでも伸ばして・・・
およそ境界なんて見分けがつかない。
そのバランスが年代とともに変わることはあるけれど、
「それでいい」と思えるところにたどり着いて、ずいぶん楽になった。
「それではダメ」という人ももちろんいると思う。
でも、大事なのは自分にとっての答えを見つけることだからね。


