




長女16才「世の中わがままに生きている人のほうが得よね~
うちではママがいちばんわがままだもんね。
ママのしたいようになって行くじゃない?」
私「だったらあなたも好きなようにしたらいいじゃない?」
長女「それがねえ、やろうと思うと意外と難しいの、わがままになるって。
つい相手のこと考えちゃうの。」 ・・・すみませんこと、何も考えてなくて!
部屋に炬燵を置かなくなって久しい。
多分、夫と結婚した20年前からだと思う。
夫の実家の北海道では部屋全体を温めるのでそのような習慣がないのか、
いつも動き回っている義母に炬燵に入っている暇がないのか、
とにかく夫は炬燵で暖を取る習慣がない。
で、いつの間にか私の実家もそれに習って炬燵の撤去になった。
先日突然12月並の寒波がやってきたとき
10才の長男が和室の居間の長テーブルに毛布を掛けて
「こうするとおこたつになるよ」とさも発見したみたいに言う。
お友達のおうちで見てきたのかな。
出してあるヒーターだけでは不満だったようす。
小さいころ「おこたつの周りを走っちゃいけません」なんてしかられたことを
思い出した。
祖父母の家は掘りごたつで、我が家は豆炭ごたつだったと思う。
和室のよさは、何とでもなる空間の機能性だと思うから、
お炬燵置いちゃうとなあ・・・。
でも今ちょっとだけ心が動いています。
あの暖かさ思い出しちゃった。
う~ん、買っちゃうかも知れない!
わー、お仕事が終わらない・・・
明日は千葉にお花のイベントで出かける予定だったけれど、
仕方がないわ、一日ずらすことにする。
毎年毎年作品展では同じことをやっているのだけれど
毎年シチュエーションが微妙に違うので、
同じようにあたふたしている。
一方、搬入担当の樋口先生の段取りは、
毎年格段にアップグレードしていて、
作品の梱包作業など、まるで芸術的。
凹凸のある作品を傷めないように搬入するには
それなりのテクニックを要するのだ。
素敵なポスターも出来てきて
受講生の皆さんへご案内と一緒に郵送したり、
私鉄の駅の構内に貼るお願いをしたり・・・
残すところ具体的な作業ばかり。
沢山の方々に受講生の皆さんの作品を見ていただけるように
私たちも出来る限りのお手伝いをしないと・・・。
がんばります!
クワガタが朽木の下にもぐってあおむけで寝ている。
このところこの寝姿が多い。
顔から上を木から出しているので
まるで朽木を掛け布団にしているみたいだ。
安心しちゃってるのね・・・
そばにはトレハロース配合のバナナ風味ゼリー。
安全な環境で寝食を保障されていると
もう野生の勘なんて働かないだろうな。
とは言うものの「メタボなおじさんクワガタ」になってほしくないので、
野生のかっこよさをキープするお手伝い。
割り箸でつのをつついて刺激を与えたら怒って向かってきた。その調子!
な~んて、人(虫?)のことかまっている場合か。
どうする? 自分のメタボ・・・
スタッフのひとりと来年の打ち合わせをしていて、
少しむずかしいと思える課題を提案した。
「出来る?」
彼女はしばらく考えて
「今の私になら出来るような気がします」と
言葉を選びながら答えてくれた。
これは「出来ます!」と即答されることの何倍もうれしい。
なぜなら去年の彼女には出来なかったのを知っているから。
ひとつひとつ経験を自分のものにしてきたからこその自信だと思う。
仕事は逃げない人を成長させるなあと改めて感じた。
と同時に「今の私にはあのころと同じことはもう出来ない」という時が、
いずれ年齢とともに必ずやってくるはず。
そのときに、若さや力だけに頼らないで「出来ること」の選択肢を
沢山にしておくためにも、
少しずつ難しい課題に挑戦しておこうと思う。
英会話のレッスンがなぜか今日はハロウィンのジャコランタン作り。
先週のレッスンで「来週カットするけど作りたい?」と聞かれたので
ぜひお願いする。
アメリカ人の先生宅兼レッスンルームに、場違いなエプロン持参で出かける。
オレンジ色の一抱えもあるかぼちゃのトップを切り抜き
中身をスプーンですくい出し・・・
といっても日本のかぼちゃを想像すると拍子抜けするくらいがらんどう。
あとはあらかじめ描いておいた顔に合わせてナイフでカット。
「どの形にする?」とイラスト集を見せられるが
そこはやっぱり前歯の入り乱れたクラシックなスタイルでしょう。
せっかく私が作るのだからと、
私の右頬のほくろも同じ位置に丸くカット。
中にキャンドルを灯して「ランタン」完成!
ここのところデンマークへ出かけていないので
レッスンもなんとなくのどか。
教わったことをすぐ忘れるので「とっても悪い生徒」なんだそうな。
家に戻ったら今度は母と干し柿作り。
ハロウィンとサンクスギビングがセットでやってきた!
(かぼちゃと柿のオレンジが夢に出てきそう・・・)
叔母から携帯に電話・・・
「今、おばあちゃんのところに来ているの。
今日とっても頭がしっかりしているから、ちょっと話してみる?」
98歳に近い祖母は入退院を繰り返している。
叔母は入院先のベッドサイドから電話をしてきたらしい。
「おばあちゃん、わかる? 裕美だけど?」
「ああ裕美ちゃん?うん、うん、わかるよ」
少し張りはないが前と変わらない若い声。
「おばあちゃん、今日気分がいいの? 私また会いに行くからね。」
「・・・・・・」
叔母が電話を代わって「うなずいていたから話は伝わったみたいよ。
途中で電話だって忘れて返事するのやめちゃったみたいだけどね。」
ここ数年寝たきりだが頭はしっかりしていて、
少し前まで筆字で日記をつけたりしていた。
叔父が病院で読むようにと絵本を送ると、
「こんな読むところのないものはダメ、歴史の本を送って!」と豪語。
書くことが好きで、私がまだろくに字を書けない小さいころから
候文の巻紙の手紙を送ってくれて、
読めない私は母に翻訳してもらったりした。
夫を早くに亡くしてがんばってきた、スーパーおばあちゃんで、
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も
成らぬはひとの なさぬなりけり」
事あるごとに、耳にたこが出来るくらい、母に言われてきたこの格言も、
実は、母が祖母から同じくらいに言われ続けたのだと知った。
最近眠っている時間が多くはなったが、
今日の声を聞けば、まだまだ元気で周りのほうが励まされてる。
本当のことを伝えて相手を怒らせてしまうことが、たま~にある。
だけど、仕事の話では真実と思うことを伝えるところから
始まるんじゃないかと、まだ思っている。
人の話を上手に聞くのは難しい。
これこれについて相談していると思って話していても
それは上澄みの問題で、その下にはもっと別の不安が隠れていたりする。
うっかり上澄みの話にアドバイスをもらったりすると
本質的な問題まで届かないまま話がそれていってしまう。
このごろ自分自身の問題では上澄みとその下に2段の構造があることが
だんだんわかってきた。
人とのやり取りを通して
「この部分の不安を顕在化したくて話していたんだ」
というのがわかるようになってきた。
時々だけれど。
ただそれも、人の話を聞いているときにはわからない。
怒らせてしまった相手にも、2段の構造があったのかな・・・
なんて思う。
いつも注意深く周りを見ている長女16才、
買い物に出て「さっきより大分すいてきたね」
注意力に極めて欠ける私。「どうしてわかるの?」
長女「わかるでしょ、さっき両隣止まっていた車が今ないでしょ?」
私「注意深いね」
長女「私から注意深いところ取ったら私じゃなくなっちゃうもん。」
私「ママと足して2で割ればよかったよね」
長女「どうして2で割るの?
そしたら今より少なくなっちゃうんじゃない? いいところが。
それって損するだけじゃない?」
な~るほど~ こちらはどこまでも注意力散漫な私・・・
樋口先生の声が先週から突然ハスキーになった。
風邪ではなくて、毎年この時期になると同じ症状がでるので
作品展に向けてのプレッシャーだと思う。
阿部先生がぎっくり腰になった。
お風呂上りに貧血で倒れ、イナバウアー状態に・・・。
気が付いたら既にぎっくり腰になっていた。
そろりそろりと平行移動しながら、
「ああ、そちらのベースにはこの素材のほうが・・・」なんて
首から上は元気がよい。
ここのところイベント続きで先生達もハード。
作品展も一ヵ月後に迫ってきて、
教室に飾られた迫力の大作が毎日少しずつ増えている。
あと少し、受講生の熱気に励まされて先生達もがんばってます!


