




「やりたくないけど、やらなければいけない仕事」から
逃げ回っていることが負担になる。
プレッシャーを与えてくるのは
「やらなければいけない仕事」そのものではなくて
「逃げ回っていること」の方。
毎年秋になると、ほんの少しだけど、
この得体の知れない「やらなければいけないこと」に
向き合ってみようか・・・という気になる。
普段やりたくないって言いながらやってることは
実はやりたいことなんじゃないかな?
そこまで積極的でなくても、「まだやっていられる」程度のものじゃないかと。
本当にやりたくない仕事はやっぱり手付かずのまま。
自分でもわかっているはず。
1年にひとつずつでも片付けば、5年で5つ。
5つも解決すれば、今の私のような小さな世界での
滞っている仕事はほとんど片付いてしまうのではないかしら?
最初の一歩は、あわてて一歩踏み出すことじゃなく
問題の方向へ顔を向けるということでしょうか。
片付ける端から新しい課題は出てきそうですけどね・・・
高1の長女が10才の長男と話しているところを聞くと、
どこかで聞いたことのある声のような気がした。
そう、長女の声が私にそっくり。
厳密には、「私の声を録音して聞いたときの声」にそっくり。
第三者が聞いたらわからないかも。
子供たち同士も声が似ている。
長男と長女は6才も年が離れていて、その上性別も違うのに
私はよく電話口で間違える。
長男はぶっきらぼうなので、話しているうちにすぐわかるが。
でも、と言うことは、私と子供たちはいずれも同じような声?
声は遺伝する?
今度夫から電話が来たら実験してみようかな。
「私は誰でしょう?」
スタッフの子供が電車大好き。
そのためか彼女も近隣の電車関係のイベントに妙に詳しい。
「明日は長野駅開業120周年のイベントがあるんです!」
うれしそうに話す姿は鉄道ファンそのもの。
「ほんとはあなたが行きたいんじゃないの?」
「ばれました?」
幼稚園の子供のお付き合いのつもりが、
いつの間にかパパママの力強い趣味になったそうで・・・。
そういえば子供が小さいときって、
「仕方ないなあ、子供が行きたいって言うから・・・」ってノリで
結構、年を忘れて純粋に遊べたような気がする。
長女が1歳半の時は夫の仕事で山の中に暮らしていたので、
毎日お弁当持って野山をピクニックしていたっけ。
さすがに子供も大きくなって、「おとり?」になってくれなくなった。
次にこれが出来るのは「孫の代」か・・・
「なに?この渋滞?」
金曜日の昼下がり、いつもは閑散としている近所の大きな通りがすごい混雑。
売り場面積7800?、長野県内最大規模の「ヤマダ電機」がオープン。
日々ボーっとしていて広告もまともに見ていないので、
今日がオープンとも知らず、ついうっかり車で大渋滞に突入してしまった。
信越放送が移転した跡地に建てられて駐車場は400台くらい。
ほんとはこんなに人がいたのか、と驚くくらいな賑わい。
もっともオープン初日なので当然か。
人ごみが苦手なのであわてて引き返す。
もう少し経って落ち着いたころ、
ヤマダ電機大好きの夫と歩いて来てみようかな。
食品や雑貨の取り扱いもあるみたいで
周辺のスーパーへの人の出足も気になるところ・・・。
おまつり金魚全滅。生存日数2週間。
残るペットはクワガタのみ。・・・最近食が細くなってきて心配。
こういうものなのかしら?
友人が冷凍野菜を作ってくれ、しかも小分けにパッキングまでしてくれた。
ジャガイモとさつまいもとえのき。
忙しい朝、お味噌汁にリゾットに超便利。
時間がなかったのでメールで「冷凍野菜大活躍。大変便利且大変喜。」と
へんな中国語みたいなお礼文を送るが、いつもまめな彼女から返信なし。
時が時だけに怪しいセールスレターと思われたか?
この場を借りて「謝謝」
友人から「うちの子の図書袋作るところだけど、
そうちゃんのいっしょに作る?」とメールが来る。
今使っているのも彼女の力作。ミッキーの刺繍つきのすばらしい出来。
でもぜんぜん痛んでいないので(なぜ?)、
「この次、お願い!」と返事。 「了解」
ふつうの一日の、ふつうの出来事・・・。
おともだちに感謝!
友人がインドへ行くと言う。
「いいなあ、私も行ってみたい」と言うと、「じゃあ行こう!」。
聞けば、来月の話。
いくらなんでもそれはちょっと急過ぎる。
多分その友人も性格から言って急に決めたに違いない。
「今回はあきらめるけど、次回行くとき私の道案内して」とお願いする。
日常の中の自由度から言えば、家で仕事をしている私はかなり自由だ。
家事と平行していろいろな仕事が出来るし、
メールでのやり取りで仕事が進むので、
ここ数年は静かな引きこもりに近い生活とも言える。
小さな自由をキープするために、毎日、毎週、毎月・・・
やらなければならない不自由がいろいろあるが、
このスタイルは結構私のペースに合っていてストレスを感じない。
自分ですると決めた仕事もあるし、出来ないものは人に頼み、
進行を確認すると言う仕事もある。
ただし、イレギュラーなスケジュールに対応するのが大変という弱点も・・・。
今回のようなことが起こると、まだまだ生活のスタイルに
手を入れるところが沢山あるのを思い知る。
それは旅行のような自分主体のことだけでなく、介護や家族への対応、
他から起こってくる何か・・・。
「今たまたま何もない状況」を自覚して、次に手を加えるのはこのあたりかと思う。
出来るか出来ないかは別として・・・。
実際にイレギュラーな事が起きた時、考えている余裕がないだろうことは
周りを見ていてもなんとなくわかるから。
もうこれ以上考えられない・・・と、
壁に突き当たることが多いような気がするけど、それって何?
もしかして極限まで考えてる?
いやいやそんなことないだろうな、私に限って。
時間的に追われているときに、そうなりやすいように思う。
「○時までに○○しなければならない」みたいな。
しかも「○○しなければ」に入るのは、
単純にこなしていれば進む作業ではなくて、今ないものを生み出すようなとき。
デザインだったり、文章だったり、仕組みだったり・・・。
このブログも夜中の日付が変わる0時更新を目標にしている。
もし何かトラブルが起こっても、その日付があと24時間あれば
対応ができるかもしれないから。
余裕をもって早めの更新。
でもその直前は「ああ書けない!」とドタバタ。
結局「壁」はどこに置くかという問題だけで、なくなりはしないのね・・・。
自分ではおよそ理解できない難しい世界があって、
でもその世界が常に日常生活や仕事とかかわりを持ってくるとき。
で、そのかかわりの中で自分でも「正解」と思える判断を
しないといけないとき。
みんなどうやっているんだろう・・・。
その「世界」には医療や法律、財務、・・・
私にとってはパソコンなんかも入ってくるし、保険や・・・
もしかしたら自分の持ち場である領域以外は全部とっても素人。
それを知っている誰かに相談するというのが手っ取り早いけど、
その「知っている誰か」は本当に「知っている」の?
人にだけ頼っていないで、自分の中に何か基準を持つことが出来たらいいなあ、
なんて思う。
キンモクセイの本物の花が咲いた!
外を歩いていると、どこのお庭からもいっせいに香ってくる。
自宅の小さな庭のキンモクセイも今年は鈴なりの花をつけた。
先日の倉庫の引越しの際、運んできたレンガを庭に並べていると
小指くらいの小さなトカゲの子が貼りついている。
倉庫の庭の隅に積んでおいたレンガの隙間に入り込んでいて、
そこで「バイバイ」してきたのだ。
「あれ?きみも一緒に連れてきちゃったの?」
4肢がうまく使えなくてバタバタしているみたいに見えるが
本人は必死で逃げ場を探しているのでしょう。
何もしないから、どうぞごゆっくり・・・
小学4年の長男の運動会。
佐久市の実家からおじいちゃん、おばあちゃんも観戦
テスト前の長女と夫はそれぞれビデオとカメラ係。
先に撮影チームが出かけて場所取りをする。
ちょこっとぽっちゃりタイプの長男。
遠くから見ていておなかが出てるのが気になるなあ。
この親にしてこの子ありか?
みんな真剣に踊ったり走ったり・・・普段見ることのない姿でほほえましい。
午後になり長女が帰ってしまったので、私がビデオを撮る。
綱引きは3年と4年の合同だということを忘れ、
クラスで一番背が低い長男にあわせ最前列ばかりを撮影。
(実は見えていないので勘で撮る)
後で、写したのは全部3年だと言われ怒られる。
こういう時必ず「ママはダメだねえ」と言われるが、
言う方も言われるほうも「またか」で慣れちゃってる。(反省なし)
そういえば全然関係ないけど、ちょっと変わった先生が
「運動会で読むならアンリ・ベルクソン」と言っていた。
運動会でわざわざ本読むのも?だけれど、
さらに指定されたその著者が気になったので一応図書館で調べる。
(どうせ読まないだろうと言う前提の下に、
書店でなく図書館に行くところがえらい!・・・こんなとこで自画自賛)
ベルクソンの本・・・開けてびっくり、字がたくさん。模様にしか見えない。
一遍の速読?の元に静かに棚に戻しました。
私の中で意味なく関連付けされているもののひとつ、「運動会とベルクソン」。
どうするんでしょ、これ・・・。


