




捨てたい病、再発・・・
周りのいわゆる更年期の知人たちが一様に
「指の関節が痛くなってぺットボトルのふたが開けられない」と言う。
だから来た来た~と思った。
右手の中指、第二間接が硬直してる・・・このことね!
ぺっトボトルのふたはそんなに開けないからいいけど、
困ったのは布団の上げ下ろしのときに痛いこと。
うちは和室で寝起きしているので朝晩この作業がある。
だから朝晩痛い。
この一年あちこち身体的に今まで無いようなことが起こり、
「そういう年なんだなあ」と実感せざるをえない。
48年の永年勤続ご苦労様・・・とも言ってられないわ、
だってまだ半分だもの。
どうするんだ、残りの半分。
とりあえずがんばれ~とでも言ってみますか。
あららら
庭の膝丈くらいの山椒の木に
アゲハチョウの幼虫が10匹ひしめいている。
腕で抱えられるくらいの山椒の木だから
そんなに大量の住人を養えるはずも無く
もうすでにはっぱは食べつくされ
枝ばかりの気の毒な姿。
そのうち1匹がすでに黒っぽいさなぎに変身済み。
木にはっぱが付いていないので丸見え。
無用心だなあ、と思ったが、
そうか、このこが最初さなぎになった時には
まだ周り中緑で覆われていたんだ。
その後の9匹に食べつくされちゃったのね。
それを見て「選択肢の無い状況に人より早く突入」するのは
すごい危険・・・なんてことを思った秋の暮れでした。
どうしたらいいんでしょう、
さなぎで越冬するらしいから全員変身したら
水槽か・・・
長女が雑誌を見ながら変な心理テストをしてきた。
「あなたは○○をしています。
次にあなたが選ぶのは1から4のどれでしょう?」
真剣に考えて誠実に「○番!」と答えた。
「ねえ、ママそれじゃないでしょ!
ちゃんと答えて!」
それで何がわかるの?
でも却下されたからもう一度真剣に考えて
それでもやっぱり答えは「○番」。
「ありえな~い、
ママ、KY度 1%だって・・・」
ちゃんと空気読んでるわよ、いつだって!
この配慮に満ちた母の姿が目に入らんか!!
高1の長女が「私、最近『全然』の使いかたがわからなくなった」と言う。
彼女の言わんとしていることは
『全然』は次に否定形をつなげて『全然~でない』と使うものと思っていたら
肯定もあり。
つまり『全然OK』な使い方がポピュラーになってきた・・・。
実は私も同感だったのが
なんとなんと『全然+肯定』は当初の使い方としてあったのだとか。
何のことはない、知識の不足が
勝手に作り出した迷信だったと言うわけ。
そんなこといくらでもあると思う・・・。
小学校からあれだけ「止め」や「撥ね」について
正解はこれ!と言われてきたものが、
学生時代の漢文の授業で「○○の形状が元になっていて
最初は撥ねていたものがだんだん止まって今の形になった」なんて話を
聞いたときには(逆だったかもしれないけど)、
あまり『今』にこだわっても意味がないなぁなんて思った。
ひとつの過程でしかないものが、短い期間で見ると
「正解」になっちゃうのよね・・・。
その短いって「千年」だったりするんだけど。
呼吸だけしていても何も入ってこないのよね。
引きこもって精神的には安泰な日々を送っているけれど、
ここのところ友人から聞く外界の話は魅力的で
「これでいいのか?」とも思う。
当然のことながら機械損失を起こしている。
ただ、「動く」のに50%、
「戻る」のにも50%のエネルギーがいるから、
常にフラットな状態で居るには、
全力で動きすぎたらダメだし・・・。
な~んて、疲れる先のこと計算してるようでは
当分このままかな?
何事にも多面的な角度から見た判断があって、
でも言い切らないと伝わらないときがある。
で、言い切っているときの自分は
あまり好きじゃない。
本当は、あなたの言っているそれもあり、
これもあり、どれもありよね・・・
と思ってしまう。
言い切らないと前に進めないから
そうしてるけど、
前に進まなくても良いときまで
言い切っているのはどんなものなんだろう・・・。
人それぞれの苦手なものがあると思うが、
私の場合は「誰が責任を取るのかわからない状況恐怖症」。
流れでなんとなく押されてすすめられていく事に
恐怖を感じる。
いつもそういったことからなるべくはなれて
責任の所在がはっきりしているところに
居たいと思っている。
「あなたは移民についてどう考えますか?」
えっ移民?
いきなりそんな社会的な問題を切り出したのは
小さな晩餐会でお隣になったデンマーク大使。
2001年の春、北欧がからむ行事で長野を訪れたデンマーク大使夫妻と
友人方のお部屋のディスプレイをさせていただいた。
カラコレスのデザインや素材が北欧に縁のあるものと
いうことから。
このイベントの主催者側は晩餐会にどなたも出席されず
4人のお客様たちに私という不釣合いな晩餐会が開かれたのだ。
「長野はどうですか?」とでもお聞きすればよいのかと
思っていた私にいきなり浴びせられた質問が
件の「移民」の問題・・・。
「日本は移民を受け入れていないので
デンマークと状況がちがいます」と
しどろもどろに答えた。
「宗教と政治の話は会話に乗せない」って言ったじゃないと
中学の英語の先生を恨めしく思いながら。
デンマークに少しでも暮らしていると
この課題を肌で感じる。
異邦人である事を忘れてしまうくらいに
雑多な国の人たちが多いから。
デンマーク大使が隣に座った初対面の日本人に
最初に聞いてみたくなるほどの課題だ。
人口が500万人そこそこで、
「世界で最も幸福を感じている国」。
と同時に思い出すのは、デンマーク大使との会話。
政治に疎く誰が何党かわからないような私も
今日が歴史にのこる政権交代の日だとはわかる。
で、脈絡なく思い出したのがこんな場面・・・。
いまさらですが・・・。
「無駄になってもいい」と思ってすると、
結構物事がスムーズに行く事に気が付きました。
(47年人生をやっておりますが今気が付きました)
・・・で?
いえ、別にそれだけなんですけど、
もうそれで充分な気がします。
優先順位を考えたとき、その先のことまで考えて
状況が変わるかもしれないから手を付けないでおこう・・・と
動かないことが多かったのです。私は。
でも別にいいじゃない無駄に終わっても、
今やっておけば。
そう思ったら不思議と気が楽になりました。
今日も「無駄になるかもしれないこと」しよっと!
あっこれってすごく元気でるかも・・・。