




80才くらいのお客様に、手作りのフルーツケーキをいただく。
ドライフルーツがたっぷり入っていて、とても美味しい!!
夫に「私もその年代になったらたくさんケーキを焼くの」と宣言。
彼、クスクス笑いながら「あなたには無理だと思うよ。何かほかの事してそう」
あまりの期待度の低さにがっくり、その話を母にもする。母はいつも夫の味方。
「ムリムリ、せいぜいパパがあなたに手を焼くくらいでしょ」 あんまりだわっ、みんな・・・
こどもってどんなに小さくても母親を守ろうとするみたい
長女がまだ3才のとき、初詣でのあと「ママ、なんてお祈りしたの?」と聞くから
「家族に悪いことが起きませんように。 でもどうしても起きちゃうときは、
一番つよいママのところに起きてねって。だからもう大丈夫よ」
見る見るうちに娘の目に大粒の涙。「悪い事なんてママのとこにも起きなければいいでしょ、
どこか遠くの知らないとこ行っちゃえって言えばいいでしょ」
わんわん泣く娘をなだめながら「自分が守らなきゃ」なんて思うことの傲慢さを反省。
こんな懐かしいひとコマを思い出したのも、感傷的な秋の夜長のせい?
日々の暮らしの中で、デザインの参考になりそうなシーン、仕事のヒントになりそうな事がらを写真に収めたり、メモで残したりするのが習慣になっている。
デンマークに仕事で旅行に行ったりすると、それはもうフル回転になる。
どの一瞬も、どのシーンも残しておく価値があるから・・・。
子供を連れて1ヶ月間コペンハーゲンに滞在したときには、2000枚の写真と日記を残す事になった。
右手、人差し指の第2関節に、いつの間にか硬いタコができてる。
これって何のタコだっけ?
ペンダコ?・・・う~ん持たないなあ。
ハサミ? 包丁? 栓抜き? ホチキス? 手当たり次第チェック。でも心当たりなし。
ふと考え事をしているときに現場に遭遇。 あっ噛んでる!!
そう 犯人は私の前歯・・・。 キャー 歯型ついてる~
帰宅する夫の車の音がすると、子供たちは大騒ぎで部屋の隅にかくれる。
長男8才はカーテンの陰、長女13才は押入れに。(この人年の割りにとっても幼稚)
家に入った夫は「どこかな~?」と楽しそうに探しまわってる。
毎日毎日あきもせず繰り返すかくれんぼに「大変だね」とこちらは同情ぎみ。
「でも大きくなっちゃって、かくれてくれなくなったらさみしいよね、きっと」と夫
「大丈夫、私がかくれてあげる」・・彼ニヤニヤしながら「探さなかったりして」 ガ~ン
個人的に、何かにこだわって収集するという事が出来ない性質(たち)である。
そんなわたしが唯一熱意をもって集めたのが、色ガラスの破片。
小学校1.2年の頃だと思う。
喘息の発作ばかり起こして、家で寝ている事が多かったちいさい頃、枕元にはいつでも遊べるように、お気に入りの小物達を集めた箱が置いてあった。
その箱の中にビー玉がいくつか。
夜、蛍光灯に照らすと、いく筋もの光の線が見えてきれいだった事。
ガラスを通した色への興味は、そんなところから始まったように思う。
子供たちと書棚の整理
ミステリー大好きな夫の本で「切断」なんてタイトルのを長男が見つけてきた
どうやら彼もコワイの大好き系のよう
「ママ、これどういう意味?」 「せつだんってね、切り落とすこと」
「あ~あ、そういえばケーキ切断っていうもんね」 「・・・?」
横から長女「それはケーキ入刀って言うのっ!!」
買い物からの帰り道、長男7歳が
「ねえママ、ひとつだけおねがいがかなうとしたら、何がいい?」
「なんだろう・・・家族がみんな健康でいられますように、かな」
「ママのおねがいはちっちゃいね。そうちゃんのはもっとすっごくおっきいよ」
「へえ、どんなの?」
「一年分の麻婆豆腐を一度に食べたい!」「すっ、すごいおっきいね」・・量できたか


